週5日のデイサービス利用で連休のない母だったが、毎年年末年始の大晦日から三が日はデイサービスも休業となる。


認知症が進行するにつれ4日間の休みは心配ごとが増えた。

私か妹の家に泊められたら少しは安心だったが、帰宅願望が強い母には到底無理な話だった。

誰かが実家に泊まるのも母にとって環境が変化することに変わりなく、最後に親戚が泊まったときは夜中も家中をウロウロして親戚が一睡もできなかったことを思うと良い案とは言えなかった。


ショートステイを利用できれば年末年始の不安がなくなると思い、試しに一泊デイサービスと同じ法人のショートステイを申し込んでみた。


いつもの送迎車と同じデザインの車と見慣れたユニフォームの職員の迎えでスムーズ出かけて行った。


翌朝、ショートステイ先から電話があった。


夜中に転倒したらしくお尻にアザができている。

内側から入口のドアノブと壁の手すりをタオルか何かで縛ってしまわれた為、職員が入室できず

転倒した場面を見ていないので詳しいことがわからないということだった。今朝は特に痛みを訴えていないが帰宅後に様子を見て必要があれば病院へ行くように言われた。


昼過ぎ、実家で母の帰宅を待った。


車から降りた母の右目の周りに試合後のボクサーのようにうっすら紫色のアザができていた。

全身チェックすると右手の人差し指も色が変わり、左臀部にも打ち身の跡があった。


元々、家にひとりになると家族が笑ってしまうほど厳重に家中の鍵をかける人だったが認知症が進行してもそれは変わらなかった。

なので、消灯後の鍵のない見知らぬ部屋で母は誰も入って来ないようにタオルなのか服なのかわからないが何かを使ってノブと手すりをしっかり結んで寝たのだと思われる。

夜中ぬトイレに行きたくなり部屋を出ようとしてノブを回しても開かないことでパニックになりノブと手すりを結んだことを忘れて必死に何度も力まかせに布を引っ張っる度に指が目や顎に当たって勢いで尻もちもついたとアザのある場所から推測した。結果、母は失禁してしまった。


当然のことながら母は何も覚えていなかった。

プライドの高い母が失禁したことを覚えていなくてホッとする反面、母の初めての失禁に私はショックを受けた。


翌日になると母の顔面のアザは色が濃い紫色になって痛々しさが増したが、ほとんど鏡を見ることもなくなった母は気にしていなかった。

アザが消えるまで半月くらいかかった。



ショートステイ先では施錠できる部屋がない為、また利用するとしても夜中の見回りができないというリスクがあり責任が取れないが、家族がその点を納得して承諾書にサインしたらもう一度トライできなくもないという判断が下された。


翌月、再度利用することになったが消灯後に他の利用者の部屋に入ったり、空き部屋に失禁、更にまたドアノブと手すりを結んで夜中の見回りが出来なかった為にそのショートステイでの受け入れは困難ということで年末年始のショートな断念することになった。


それ以降、年末年始は午前中と夕方2回食事を届けがてら午前中は掃除洗濯を一緒に、夕方は一緒に布団を敷くことを日課にしてなんとかやり過ごすことができた。

それでも毎晩いつ徘徊が始まるかの不安は常にあり、毎朝母が家にいるのを確認するとやっと私の夜が明ける思いだった。


もしかするともう少し早い段階からショートを利用しておいたら良かったのだろうか…


兎にも角にも、母のショートステイは2回きりで終了した。