先日から高校生の男の子が体験学習をしてくれています。


公文は最初に診断テストをしてもらい、今の力に合ったところから始めます。

たいていの場合、本人が楽々できるところから始めます。


彼にも診断テストを受けてもらったのですが、高校生の出発点については小中学生とは違い、ここからやりましょうとあまり細かく書かれていません。

これは、こちらの判断に任せるということでしょう。


彼の場合、まず診断テストにあまり手が動かない。 


なので私は中学校教材の1番最後のものを選びました。


ん?でも、私のイメージにある、公文教材に対する学習姿勢とちょっと違う。

ぼーっと時計を見ながら手が動かない。

私が近づくと手を動かし始めるのだけど。

これは、教材が合ってない?


結局時間内に最後の1枚が仕上がらず、今日の宿題にしました。


さてその次の教室日。


'宿題はできていません'


そうなんだ。それならまずそれからやろうね。


やっぱり手が動かない状態。

何とか一枚仕上げて、やっぱり1つ下のレベルのものをやってもらうことにしました。


すると、彼は人が変わったように手を動かし始めました。


これこれ。これが公文教材のやり方だね。


やはり私が彼のちょうどの箇所を見つけられていなかったのです。


この教材から始めて、200枚終えたらまた最初の教材に入ること、その時にはしっかり解けるようになっているはずだから、今度は楽に取り組めるよ、という話をしてプリントを終えました。


そしてリスニングが苦手だという彼にはあと5枚、もっと下の教材でリスニングと読解に取り組んでもらいました。


小中学生ではないけれど、ちょうどの教材を見つけてあげないといけないのは高校生でも同じです。


危うく彼に英語の楽しさを感じてもらえないところでした。


常に生徒さんのちょうどを見ること。

永遠の課題です。