雪のような灰

雪のような灰

過去は決して死なない。それは過ぎ去ってすらいない。—ウィリアム・フォークナー

あの日のわたしがまだ転がっている。

消えないくるしみを植え付けた人から離れて、もうかなしむ必要などなくなったと思っていたのに、わたしの心はもとに戻らずに、いつしかくるしみは安定化していて、もう自分の中で何がかなしいのか何がくるしいのかもわからず、ただ気分として不調として残ってしまった。何がくるしいのかはもう答えられなくなっていた。



数年前からずっと貧血のような症状に悩まされており、先日ついに医療機関を受診したものの、なんの異常も見つからず。「問題ないです。大丈夫です」と言われたのだが、いや…大丈夫ではない……でも調子悪いままだしそれじゃなんの解決にもならないんだけど……。と、途方に暮れていたところ、なんとなく目に入った同じビル内の心療内科の看板に「動悸や息切れなどの身体症状にお悩みの方へ」という文言を見つけ、気になって予約をしてみた。少し緊張したのを覚えている。数年前、ちょうど不調が気になり始めた頃に特に悩み事でいっぱいになっていたので通っていたカウンセリングで「精神科や心療内科に行ってみてはどうか」と提案されたことがあったのを思い出した。



わたしはうつ病でした。薄々気づいてはいた。不調が始まってから、今まで楽しんでいたこと、記事にしていたような読書や音楽や映画鑑賞、美術館に行ったり、文章を書いたりすることがまったく楽しめなくなっていました。意欲や関心がなくなってしまった。休日はぼーっとして横になっていることばかり。何も手につかず、うまくいかない自分を責めては嫌になるのをくり返し。毎日息苦しくて涙が出て、平衡感覚を失って壁にぶつかったり、転んで怪我をしたり、それが毎日毎日。楽しいこともなくただかなしみばかりが強かった。死にたい気持ちはずっと前からあったけど、その時はまだ大好きなものたちに支えられてなんとか生きてこられたのに、今はその大好きなものも手につかない。何をしていても何も感じない。今日のお昼ご飯を決めるという簡単な判断さえできなくて、なぜか涙が出てきてしまう。そんなボロボロの日常を記録するのもいやになって、ブログからも足が遠のいてしまいました。



例の如く薬を処方されて、今は治療中です。薬が効かなくて増やされていく人たちの話をたくさん聞いてきたので不安だったのですが、薬物療法はわたしにはとても合っていました。今は副作用が少なめな薬もあるんですね。おかげで身体症状は少しずつ良くなってきています。意欲や判断力、集中力はまだ戻ってこない。ゆっくりしていればそのうち戻ってくると信じています。大丈夫、大丈夫。悔やまれることがあるとすれば、もっと早く治療を受けるべきだったこと。「放置期間が長いので、少し時間がかかるかも」とお医者さんに言われました。何事も早期発見、早期治療ですね。



そういうわけで少しずつ文章を書くリハビリも兼ねて、更新していきたい気持ち。日々考えたことや病状や身の回りのこと、色々。元気は出すものじゃなくて、出てくるのを待つ。死にたいのもかなしいのもくるしいのも症状の一種。自分を責めない程度にゆっくりね。