深夜、寝付けず3時半に起きたり、3時半まで眠れなかったりーな1週間。

意外にもストレスフルな日々を過ごしています。

さて、眠れない夜に何をしていたかというと、家探してへぺろ

仕事があるうちに、引越しようかなとか。


今の家が息子の成長と共に手狭に感じ、しかもオフィスがあるけれど、家で仕事をする夫に、、一部屋仕事スペースを作りたいかなと。

ダンボールに囲まれた生活、からの脱却にも、間取り、スペース、環境を変えても良いかなと考えるようになりー


賃貸生活は終わりにしようかと、安定して来た暁にドッカーンな今回の研究所クローズの話。

ちなみに勝手に夫もストレス受けて、ドッカーン。


怒りのきっかけは、怒りの原因ではないなあと。

私が息子へのイギリス人の先生のクリエイティブライティングクラスを予約したのが、韓国語クラスを予約する日がない、とこれが怒りのきっかけ。

怒りすぎて、身支度して出て行っていましたてへぺろ

(夜には帰って来ていましたが。)


きっと義母の認知症が進行していたり、ビジネスが思うように上手く行かなかったり、私の退職推奨交渉が自分が韓国企業で経験した内容よりはるかに条件が良いことに戸惑いがあったり、いろんな理由があるのかなと思いますがー


まあ、はっきり、だから、この人には頼れないなと、自覚出来たことに感謝。

引き続き、私名義で家購入はないなと認識、、この場所に住んでいるのも息子の教育環境理由だけだから。


だけど、頼れないおかげさまで、何とか、メンタルも、フィジカルも、ファイナンシャルなことも、自力本願でいられて有り難いかな。


しれっと、私の誕生日の日に、ドクターに、スタッフを連れて伺います、とメールをしていました。

いつも何かにブチギレても、仕事上、私に頼らざるを得ない時には、また、歩み寄って来るのです。


さすがに、今回はウンザリ。

誕生日翌日に一泊一人旅に、湯河原温泉を予約しました。

頑張り続けるにも程があるというか、ちょっとメンタルにも休憩が必要かなと。


さて、また、変な時間に起きてしまいました。


元気だけど、相当なストレスがあったこの1週間。

あんまり寝れていません。当然ですがー


中国人同僚Aは、

日本の研究所の話は、本当に気の毒だと思います。あなたはお元気ですか?

と、メッセージを送って来て、


と、私はあまり元気ではないけれど、あなたは元気ですか?


と聞いたら、

私はとても忙しいんです。、、と。


だったら、連絡して来なくて良いし、こちらは仕事がなくなるのに、忙しいって言うために連絡して来たの?みたいな、相変わらず頓珍漢な彼女とは、早く音信不通になりたいなと。


北京出張↓で訪れた会社が私に用意していたお土産のお茶を渡し損ねて、上海の研究所に送って来られ、同僚Aは、お茶を私に送らないと、というミッションに取り憑かれていましたが、Aから受け取るのも、この件でやりとりもすごいストレスなので、執拗に送ると言っているのを断りました。


が、北京の会社の皆さんとは最後に会えて良かったなと。


さて、会社との話し合いにプレゼン資料を作成しました。日本の研究所開設から閉鎖までの10年の旅というタイトルで、私の10年の貢献内容、そして、継続と考えていたさまざまなやり取りや証拠、今回の閉鎖のアナウンスのための来日も、皆完全に家族旅行のついでに来ると勘違いしていたトリッキーなメールに、誠実さや透明性なく保身に走る上司に信頼はなくなり、人事同席を要求したこと。


会社からの提案に対するフィードバックに、フランス人上司、何故人事が必要ですか?と言って、これは人事的な案件だからです、と伝えると、今度は人事はこのミーティング時間は忙しいかもしれないと言い出し、だったら、時間を変更してもらうから大丈夫です、とやりとり。

ごめんなさい、そうは問屋が卸しませんからてへぺろでした。


ただし、いくら会社が転職活動にシフトして良いと書いても、かなりな量の進行中案件を抱えていて、すぐに誰かに振れる話でもなくー


とにかく、まあ、頭の整理は着いたし、準備はしたから、後は中国の人事と、フランス人アジア統括の研究所長との話し合いに臨みます。


フランス人アジア統括研究所長、来年には本社の良いポジションを狙っていると思いますが、いや、彼女のマネジメント責任にも言及する予定(予算ゼロで、本社とも彼女ゴーサインが遅すぎ、結局何も出来なかったある目標。。この成果が理由で閉鎖になったらしい?)で、御生憎様でしたてへぺろ



さて、そんな毎日ですが、帰宅したら、息子、今度は蕪を植えていました爆笑


専業主婦になった夏は、野菜サラダ生活かな?爆笑