おはようございます。
人間科学の専門家として総合病院で働く臨床心理士、いがらしです。
臨床心理士を目指す人は、まず、大学や大学院で心理学や人間科学を学びます。
その中から、人間の理解や、セラピーの原理や方法を習得します。
先生からの講義や、教科書、専門書、論文から知識を得ます。
忘れてはならないのは、これらは専門用語であふれている、ということです。
自動思考、回避行動、コーピング、マインドフルネス、注意、などなど。。。
私たちは、クライエントをセラピストに育てたいのでしょうか?
もちろん、違いますよね。
クライエントが自分の生活の中での自分の特徴に気づき、その特徴が自分にどう働いているのかを知り、変容したければほかの方法を知って試す、そうしてなりたい姿に近づく。
私たちは、それを目指しているのです。
これが実現されること、それが一番大切です。
そのために、難しい言葉は必要ですか?
たとえば、
「いつも、ついていないことが起きると、すごく気持ちが落ち込みます。
後で考えたら、“ついていないこと”くらいの出来事なのに、沈んでしまう。
最後には、“いつも自分ばっかり損をする”って思っちゃうんです。
はじめはささいなことなのに…。
“ついていないこと”くらいのことで落ち込むなんて、むなしくなってしまいます。
いつもそんなことの繰り返しなんです…。」
とおっしゃる方がおられるとします。
この訴えの整理、臨床初心者だったときの私は、こう説明していました。
-いつも浮かぶ、「わたしばっかり」ていう気持ち。
あこれはあなたの自動思考で。
あ自動思考は気持ちに影響を与えてて、、、。
でも、本当は、そんな難しく説明する必要、ないですよね。
-“わたしばっかり”、がいつも“むなしさ”をつれてくるのですね。
でよいと思いませんか?
次にお会いした時、
-この2週間、あなたの“わたしばっかり”はどうでした?
と聞けばいいだけのことです。
難しい言葉にあふれたセラピー。
これは、私が臨床を始めたころ陥っていた状態です。
-テレビの中で人気の心理カウンセラーが言っていることより、
あ自分の言っていることの方がエビデンスに基づいている。
正直なことを言うと、そんな風に思っていました。
難しい言葉、専門用語、それらを使っていたのは自分のだめだったのです。
極端に言ってしまえば、
-理論に沿ったことをしている。
あエビデンスに基づいたことをしている。
という自分のプライドを守るためだけだったのでは?といまでは分かります。
-より多くの知識を得たい、よりよいセラピーを学びたい。
そんな前向きな気持ちからの専門分野の勉強が、私の頭の中をより難しい言葉で満たした、
という理由もあったと思います。
どうしたらクライエントに理解してもらえるか。
どうしたらクライエントに伝わるか。
こちらの勉強も必要でした。
誰の、何のためのセラピーなのか考えてみて?と過去の自分に問いかけたいです。
相手に伝わる言葉選び。
相手に浸透する言葉選び。
「臨床」心理士として、これは学ぶべきひとつの大切なポイントと感じます。
いまの自分ももう一度ふりかえってみよう。
あたたかく、すなおに。
