だれでも経験していると思いますが・・・


 自分の都合の悪いことが起こったり


   思い通りにならないことがあると


   “なんで~ガクリ”となってしまいます





  この“なんで~”をやめてみたら・・・



     なんかちょっとスッキリ気分あひる






 具体的にどんなプロセスが


          あったかいうと・・・






   “なんで~?”となってから




   ⇒ “なんで~?”がわかっても


        わたしにはどうしようもできない
         (どうにもできないことかもしれない)




   ⇒ じゃあ、どうしようもないことのために


         “なんで~?”を続けていく?



   ⇒ 「犯人探し」をしてて

                  いいことあったかな?


      「犯人」に「犯人」と認めさせて

                     分からしめても・・・

          モヤモヤしてスッキリもしない



   ⇒ タロット1枚引きビックリマーク

  

   もう死んでるから、それいらないよ~!

    その“なんで~?”の感情は

       次に生かせる(つながる)ものではないよ

       


   ⇒ そして、ふと目に留まった言葉


     「今日(今)は、残された人生の初日」



   人生の最初の日に

    “なんで~?”で過ごしてていい?


       いやいや

       それで過ごしてなんかいられない!



   ⇒ や~んぺ(や~めた)!!!








   “なんで~?”と思ったことは事実!



   “なんで~?”を続けてきたことも事実!



   “なんで~?”をやめる選択が

         あるってことに気がついたのも事実!



    実は、どちらの選択もわたし次第クラッカー

    

           






  「やめた」あと


   “なんで~?”の解決の糸口らしき


      方法や情報がやってきたひらめき電球







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