誰ですか。
「コロナはただの風邪」とか言ったのは。
「アフターコロナ」なんて言葉を広めたのは。
2023年12月、ついにコロナに感染したけれど、人生最大の苦痛だったぞ
まだ回復期最中なので、記憶の新しいうちに記録しておきます。
発症1日目
家庭内感染です。3日前から身内が「風邪っぽい」からの高熱、翌日にコロナ判定を受けていました。
オミクロン株は感染力が強いのでこりゃもう予防は無理だーと諦め、普通に暮らしていました。
予防すれば良かった。
だって、曝露するウイルス量で症状の重さが変わってくるっていう情報は前に見ていたのだから。
[朝]風邪っぽい…というかコロナ来たか!という感じ。熱は37.8度。すごく余裕。ただしやたら寒い。
[昼過ぎ]ちょっと布団に入ってみる。明るいうちに布団に入っちゃうという贅沢を楽しむ。ただしやたら寒い。
[夜]あまり食欲が湧かず、軽く済ませる。
[夜中]地獄の幕が開く。39.5度の熱と、嘔吐たぶん6回くらい。
発症2日目
自覚としては一睡も出来なかった。ただ朦朧としていたので、定かでは無い。
吐き気がひどく、水も飲めない。
動けないのを頑張ってどうにか熱を測ったら、41.4度。
病院に行かねば。でも家の中でもまっすぐ歩けない事態なのに、とても行かれそうにない。
[藁にもすがる思いで#7119に相談]
コロナであることを伝えると、呼吸が苦しくないか、指先などが白くなっていないかなど、肺炎についての質問だけがされる。(個の判断でなく、マニュアルだと思う)
「オミクロン株はそもそも重症肺炎しにくいし、死者も肺炎以外の人が多いのでは?」と疑念と失望が湧き、つまりは肺炎にならない限り救助の対象外なのかと勝手に絶望する。
[藁にもすがる思いで掛かりつけ医院に相談]
「診察しないと薬は出せません」と当たり前の常識を言われて絶望する。
ただ、医院まで行った場合は寝た姿勢で待たせてもらえることをやんわり約束してもらう。
[命懸けで掛かりつけ受診]
座るだけで吐いてしまうほどで、もはやまっすぐも歩けないし、でも薬をもらわねば…と、最後の力を振り絞って掛かりつけ内科に行く。
文字通り、フラフラあちこちにぶつかりながら歩いた。
寝て待たせてもらい、抗原検査でコロナ確定。
会計待ちで短時間座ってたら、やっぱり吐いてしまった(トイレ駆け込み)
[なんだこの薬はー!]
持病持ちのせいか誰でも同様なのか、治療薬を処方してもらいました。
「ラゲブリオ」という薬。
先に身内が同じものを処方されて知っていたのだけど、押して回すタイプのボトルにカプセルの薬が入っています。
健康な時なら良いよ?
でも今、人生最高に弱り切ってるんだぜ?
この蓋で行こうと決定したヤツラ、絶対に健康で元気で力も体力もあるだろう!!!
病人にこんな蓋開けられるかー!!
一人暮らしの高齢者なんて、こんなの開けられないでしょ!
薬が開けられずに亡くなった人もいるんじゃないの?!
って無性にムカつきました。
そして、この薬がまた、デカいんだ。
しかも1回4錠。
この形状と用量で行こうと決定したヤツラ、絶対に健康で元気で力も体力もあるだろう!!!
吐いちゃうので水すら飲めないのに、4錠。デカいの4錠。
40〜41度超えの高熱の中、私はこの薬本体と容器に対して憎悪に燃えていたのであった。
やっと開けたフタの中にまたピッタリ覆っていたアルミだかなんだかを、指では開けられず、手近な尖ったもので何度も何度も刺してようやく破いたさ。
本当に!あれを考えたお方達は!
それを開けるのが弱り切った人間である可能性を考えたことはあるのだろうか!!!(怒)
[2日目のその後の体調]
食べ物はみかんを一個弱。
この日も吐いて吐いて、薬もたぶん吐いてしまったと思います。
手の届く場所にあるスマホや体温計にも手を伸ばせないほどの、ぐったりでした。
呂律もまわらなくなりつつあった。
発症3日目
カロナールなんてあんまり効かないよね。
41.4度が40度になる程度。
高熱と夜間の繰り返しの嘔吐とでぐったり…なのにプラス、昨夜あたりから全身の痛みという地獄が加わってきました。
頭も朦朧としてるし、なんでこんなに体が痛いのか分からなかった。
1秒1秒が耐え難い痛みで、耐え難いから寝る体制を変えようとするのだけど、動く時にすごい激痛。
前の日もだけど、とにかく痛くて眠れない。
吐き気も常にあり、水を飲む代わりに、みかんをどうにか少しずつ食べる程度。
そういえば高熱が出てから、1日1回くらいしかトイレに行っってないんです。
トイレに行くのも吐くために行ってて、あまりに通常の使い方をしていないので試しに座ってみて…という感じ。
変な話、座ってもほとんど出なくて、朦朧とした頭で「腎臓大丈夫なんだろうか」と思っていました。
一時膀胱あたりも痛かったけど、とにかく高熱すぎて意識がまともじゃなかった。
呂律も回っていませんでした。
発症4日目
地獄のような体の痛みで相変わらず眠れず。
ただ、吐き気だけは治ってきました。(吐き気止めも処方されて、飲んでいた)
吐き気が治ったことで水分もとれるようになりました。
夜になると、ようやく熱が下がってきました。
しかし、自力で起き上がれない!立って歩けない!
水分摂取を始めたせいか、「トイレに行きたい」という欲求が久々に起きたのですが、一人では行かれず、身内に支えてもらってトイレまで歩きました。
夜、少し雑炊を食べられました。
発症5日目
高熱と吐き気と激痛でずっと眠れなかった日々でしたが、4日目夜〜5日目朝にかけて、たった1度1時間程度でしたが眠ることが出来ました。
ここに私は大きな回復を感じました。
熱も38度以下になり、霧が晴れるように意識もはっきりして来ました。
高熱を脱して半日くらい経ってから、体の激痛もフッと激減しました。
ただ、弱りすぎてやはり歩くことが出来ず、支えてもらってトイレに行っていました。
発症6日目
フラフラしながらも、自分でトイレに行かれるように。
食事も少しずつ食べられるようになってきました。
体の激痛が治ったと思ったら、今度は全身の筋肉痛。
これが、弱ったためなのか、症状としての筋肉痛なのかは不明ですが、使ったことがないような筋肉まで余す所なく筋肉痛になった感じです。
最後に下痢がやってきました。
とはいえ腹痛は通常の範囲内で、下痢もしつこいわけではなく、今回の症状の中で一番余裕なものでした。
下痢は2日間くらい続きました。
その他
咳は後半から出始め、今もしつこく続いています。
よく見かける「すさまじい喉の痛み」はありませんでした。
そこに備えて、身内が発症した段階でアイスを買い込んでおいたのですが、食べる時がありませんでした。
2日目の朝は喉が痛かったんだけど、そこがピークでした。
一番感じたのは、家族のありがたさ。
飲み水を用意してもらったり、声をかけてくれたり、なにより痛がる私の体を何度もさすってくれたのがありがたかったです。
そして、体調が悪すぎて自力で病院に行かれない場合の絶望。
福祉の門に辿り着かないと福祉を受けられないのと同様に、病院の門に辿り着かないと、どんなに苦しくても医療を受けられない。
車を運転できる家族がいれば心強いでしょうが、そうでないと本当に絶望です。
家のトイレまでまともに歩けないのに、病院になんてどうやって行けば良いの?
実際、私の2日目のような感じで結局病院に行けず、亡くなったお年寄りとかけっこういらっしゃるんじゃないでしょうか。
これまでにコロナで亡くなった数万人の方々。
医療に結びつくことすら出来ずに、苦しみと焦りと絶望との中で亡くなっていった人たちの苦しみは、どれほどだっただろうかと思います。
自分がコロナになったからじゃなくて、前々から常々思ってましたよ。
皆保険制度なのに、真面目に保険料納めて来た人たちが、人生で一番医療を必要としていた時に助けてもらえなかった。
自宅療養で、宿泊療養で、訴えても訴えても手を差し伸べてもらえなかった方々の無念を想像すると…
コロナは怖いです。
やっぱりまだまだ気をつけるべき感染症です。
大切な人も自分も守りたいから、私はこれからも感染予防を続けます。