私がエリックの結婚式に行くことを決めて

ルワンダのことを調べようと思ったけど

ガイドブックもなし

情報も少なくて・・・

 

とにかくルワンダのイメージというと
やはり、1994年に起きたジェノサイド。
 

当時のニュース映像や
映画『ホテル・ルワンダ』を通して
日本にも伝えられたあの衝撃が

私の持っているルワンダの情報の

全てという感じでした。



ルワンダに旅立つ前に

映画を改めて見直したんですが・・・。
ほんとに近年の人類史上、
最も恐ろしい出来事の一つといっても

いいくらいの悲惨な歴史に胸が痛んだ・・・

友人もご両親がいなくて親戚に育てられたというけど、
きっと大虐殺の被害者になってしまったのかな・・・

そんなナーヴァスな話を

直接聞いていいものか悩むところ。
触れないでという空気も感じられるし。

私もそうしたいと思うけど、
あったことを一切なかったかのように
振る舞い続けていていくのも・・・

 

ということでどんなことがあの時

起こったのか知りたくて

キガリ市内にある

「Kigali Genocide Memorial」という
ジェノサイドに関するビジターセンターが
あるのでに行ってきました。
(*衝撃的な写真があるので苦手な方は控えてください。

 

 

 

Eternal flame 

 

 

アフリカ中部に位置するルワンダは、
19世紀のアフリカ分割にてベルギー領となりました。
もともとルワンダには、
ツチ人とフツ人という2つの民族が存在し、
それぞれの区別はあいまいだったようです。

しかし、ベルギー人が入植して以降、
両民族は明確に区別されるようになります。

ベルギー人は「ハム仮説」という

イデオロギーをもとに、

2つの民族を明確に区別しました。
ツチ人はアフリカに文明をもたらした「ハム人種」、
フツ人は下等な「アフリカ土着人種」として、
ツチ人を優遇し、フツ人を差別するようになったのです。

 

しかし、第二次世界大戦後、

ベルギーはその方針を転換。

 

ベルギーとツチ人との関係が悪化したため、

今度はフツ人による体制転覆を

支援するようになりました。

 

ベルギーに支援されたフツ人は、

今までツチ人がついていた

さまざまな要職を奪うとともに、

これまでの報復として・・・

ツチ人を虐殺するようになります。

 

 

その結果、ツチ人は国外に脱出し、

多くの人が難民となりました。

このルワンダから逃れたツチ人の難民が

設立した反政府組織「FPR」によって、

1990年にツチ人とフツ人による内戦が勃発。

これがルワンダ内戦です。

 

 

 

1994年4月、ルワンダの

ハビャリマナ大統領の乗った飛行機が、

撃墜される事件が起こりました。

FPRとフツ人の過激派は、

お互いに相手側をこの事件の犯人とし、

一時は和平に向かった両者の

対立は再び激化することになりました。

 

 

そしてフツ人の過激派は、

とうとうツチ族撲滅のため虐殺を開始。

 

 

そして、3カ月足らずの間に

100万人以上が殺害されてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

ルワンダ虐殺の恐ろしさは、

その被害者の数だけではないんです!

 

本来は同じ民族であるはずなのに、

昨日まで、仲よくしていた隣人や

親戚だったのにも関わらず、

フツ族のトップが指を鳴らした途端に、

フツ族がツチ族を殺し始めたこと。

 

 

 

虐殺を起こしたのは、フツ族の過激派や、
フツ族の軍隊だけではなく、
普通の一般人だったんですよ💦

 

普通の農家の人、スーパーの店員、学校の先生・・・。

そうした人たちが、

昨日まで仲良くしていた隣人を

「ゴキブリ」と呼んで、

ナタやトンカチで殺していったんです。

 

ツチ族だと言うだけで。

女性、子供、関係なく。

赤ちゃんですら、斬殺していきました。

 

ラジオ局「千の丘」からはツチの殺害を

促すかのような多数派フツ人による

少数派ツチ人らの殺戮をあおった

ヘイトスピーチが殺害を扇動したという

メディアの過ちもあったようです・・・
 

お陰で、「殺さないと、自分が殺される」という

恐怖のなかで、隣人であるツチ族の殺戮をくり返し

この世のものとは思えぬ惨劇が、

起こってしまったのです・・・

 

 

 

 

衝撃的なのが、

HIVに感染したフツ族男性を

生物兵器として利用したこと。

 

HIVを持ったフツ族男性が、

ツチ族の女性をレイプすると言う方法です。

虐殺後も、ツチ族を不幸にさせるため、

ツチ族の女性達を全員

エイズにしようとしたんです。

すごくないですか?

 

 

そして、国連が事態への介入に消極的で、

ルワンダから再三の支援要請が

あったにもかかわらず、これを黙殺していて、

重い腰を上げたのは、

50万人もの人々が虐殺されてからのこと。

そのことも大虐殺が広がった要因。

世界は、ジェノサイドの危険性に十分気がつき、

それを止める力を持ちながら、

それでもルワンダを救わなかったということ。

 

 

 

 

そして忘れてはいけないのは、

この人種差別はヨーロッパ人が

持ち込んだものであるということです。

 

 

私の最後に行った

ビソーク・ハイク・ボルケーノズ国立公園の

ツアーのガイドは

ルワンダの東部出身でサファリができる

地域だといいます。

そこではジェノサイト後

動物が激減したそうです。

 

どうしてだと思います?

食料がなくなって
動物を食べちゃったからなんだそうです・・・
コトバを失いますよね。
(今は徐々に動物の数も増えているそうですが)

筆舌に尽くしがたい現代の悲劇から私たちが

何を学ぶべきなのでしょうか?

 

なんのために人が死ななければいけないのか?

憎しむことから離れ、愛のある世の中に

向かうためにはどうしたらいいのか?

 

 

 

今のルワンダの20代の若者たちの中には

もうジェノサイドを聞いた話という感じで

日本においてもそうであるように

過去の出来事・・・的な感覚な人も。

 

それくらいルワンダは

昔の悲劇を乗り越え経済回復を果たし、

驚異のポテンシャルで明るく

温かく優しく

本当に素晴らしい国になっています。

 

 

ルワンダが

未来永劫平和でありますように、

 

 

近くの林で

平和を訴えるかのような

美しい声を奏でていた鳥。

 

 

今も起きている
ガザやウクライナをはじめとする

世界各地の紛争が

一刻も早く終結して

平和な世界になることを願いますベルベル