戦後の映画界に黒澤明と小津安二郎とがいたように、とでも言うか、テレビドラマ全盛時代に向かう今から半世紀ほど前に倉本聰と山田太一とがいた。

どちらもそれぞれに高視聴率の脚本家であったがその作風は結構違ったように思う。

倉本が「あるべきこと」に向かって切り込んでいくタイプなのに対して、山田は「そこにあること」を題材に作品を描く。

倉本はその後舞台も演ったのでよく見に行ったが、外連味のない出来栄えではあるものの、だんだんとその比較的強いメッセージにある種固定の観念を感じるところがあった。

一方、山田はそういうものを感じさせることがなかった。

言い換えると、ある意味コワモテ感のある倉本に対して、山田作品には人を警戒させないものがあり、それでいてしなやかなナニモノかが備わっていた。

私はそういう山田の作品に自然と惹かれていった。

 

岸辺のアルバムやふぞろいのリンゴたちなどがよく彼の代表作として挙げられたりするしそれに異論はないが、ちょうど多感な時に見ていたこともあって私にとっての印象深い彼の作品は「男たちの旅路」ということになる。

ただこの作品は山田にしては少し踏み込んだ感があり、それ以外の作品とは多少趣を異にするものだったかもしれない。

でもそんな作品の中にも、随所に“山田らしさ”を感じさせるセリフはちりばめられている。

例えば鶴田浩二ふんする主人公が言う「人を𠮟るときに、まるで『自分はそんなことありえない!』とでもいうような感じで言うヤツは嫌いだ。どこかに『自分もそういうことがあるかもしれない』と思いながら言わないといけないと思う。」というセリフ。

あくまで印象の話だが、倉本の作品にはそういうセリフが出てくるようなイメージはない。

 

山田の作品は基本的に、何かの理由で痛みを受けている人、つらい目にあっている人などを描く。が、ことさらそれを解決はしない。そのまま終わってしまうことも少なくない。

ただそこに余韻は残す。

その余韻が、見ている人に自己解釈を促し、再生への思いを馳せる「間」となる。

男たちの旅路第一部終了の半年後の8月にNHK銀河テレビ小説で「夏の故郷」という作品が放映された。

そこに荒井由実の「晩夏」が主題曲として使われた。

高校1年の時でもあり、内容は明確に覚えていないが、「晩夏」の余韻とそのドラマの余韻がぴったりと重なったことだけは記憶に残っている。

以来、日常の中で起こることを題材にして人々の気持ちの機微を描くことに焦点を当てるもの、表に出やすい華やかな活躍を描いたものよりむしろそこまでの過程を描写したもの、などへの関心が強くなっていった。

多感な時代ではあったが、そこになんとなく「生きていくこと」の真実があるように思えた。

同時に山田作品の、柳のような柔らかさ、竹のような強いしなやかさを強く意識していった。

 

90年代はほぼ海外赴任だったこともあり山田作品はおろかテレビを見ることができなかった。

帰国後の2000年代になると多忙を理由に平日のテレビドラマのある時間帯にあまり帰宅できなくなった。と同時に、山田の作品も何となく次第に減っていった。

今、テレビはニュース以外ほとんど見ない。

ドラマなど、民放ではあまりやらないし、NHKのものはオンディマンドにて面白そうなものを週末に見たりするぐらいだ。

作品の才がある人たちの活躍の場は今やテレビから他に移って行っている。

それは書物であり、映画であり、舞台であり、、、

しかしそういうフィールドにおいての作品選びも、私の場合、山田作品の影響が実は色濃く投射されている。

 

NHKオンディマンドに加入した何年も前、最初に見たのはやはり「男たちの旅路」だった。

既に何回か見た。

早坂暁も好きな脚本家で、その代表作「夢千代日記」などは一気に見た。

が、「男たちの旅路」の最終回である「車輪の一歩」だけは、シリーズの中でも最も良い作品の1つにもかかわらず、オンディマンドではまだ見ていない。

自分の中では、山田作品との付き合いは現在進行形である。

最終回など、来ない。

山田の逝去の報があった時、これは車輪の一歩を見るタイミングなのかも、と一瞬思ったけどやはり見る気にならない。

たかがオンディマンドのドラマ。何回でも見たらいいじゃないかという別の声もたまに聞こえたりするが、やっぱりそういう気にならない。

山田作品は今もある。そして次もある。

 

私の中における山田作品の存在とは、そういうものである。