・なぜあなたは、もともとそうではなかったヒール役(悪役)にて、日本で力道山や馬場らを相手に戦ったのですか。四の地固めという正当なそして強力な技を持っていたにもかかわらず。
 
・なぜあなたは、日本が高度成長真っ只中の時代でプロレスが人気を保っていた間中、ずーっと日本でそのヒール役を続けたのですか。
 
・なぜあなたは、初来日の10年後、馬場と猪木が分かれたのちの全日本プロレスの“所属選手”にもなってまで馬場を支えたのですか。
 
 
 
戦後の復興と高度成長時代が今の日本の礎とするならば、その時代に実を粉にして働いた人々の側から見て、野球や大相撲にボクシング、東京オリンピックなどに加えて、いやそれ以上に、力道山が”悪役“米国レスラーをなぎ倒す姿にこの国の自信を見出した面が多々あったのではなかろうかという気がしている。なぜかあの時代、戦勝国アメリカから、正統派に加えてあまたの”悪役“レスラーが来日した。その中でもデストロイヤーは、最も長きにわたって、力道山とその後を引き継いだ馬場の対戦相手を続けた。凶器や爪・歯などを使う流血騒ぎをメインにする連中と違って、”悪役“でありながら圧倒的な決め技も持っている「強敵」として(だが、実は彼の正統派レスラーとしての技量は相当なものだったし、当時の頂点であるNWAのベルトの他、いくつものチャンピオンになった経歴がある)。スポーツ歴代視聴率ランキングトップ50の中で、プロレスは2つしかないがそのいずれもがデストロイヤー戦(4位、64%=力道山戦、20位、51%=豊登戦)だったことがそれを証明している。
 
たまたま、高度成長時代が間もなく終焉しようかという頃の70年代前半に馬場の団体に所属し、ヒールも終焉を迎える。あの転換はたまたまだったのかそれとも何かの符号だったのか・・・・・
 
その後のデストロイヤーは、日テレのバラエティー番組のレギュラーになるなど、それまでのプロレスでの姿と打って変わって人懐こさを前面に出した。
時は「モラトリアムの時代」に入っていた。
 
 
最後の質問。
・そしてあなたが、2011年の東北大震災復興支援チャリティープロレスに80歳を超えたにもかかわらず来日した時の気持ちとは、どういうものだったのでしょうか。
 
 
私にとってデストロイヤーは、高度成長期の象徴の一つである。決してヒールなどではなく、ヒーローとして。
彼なくして、夜に留飲を下げ、朝に豊かさを夢見て職場や現場に向かう人たちがどれほどいたろうか、というのは言い過ぎだろうか。
 
戦後復興した日本を見る彼の目。
そして再び復興を目指すべく立ち上がる東北を見る時の彼の目。
 
その視線を想像しながら、彼が真っ向勝負でかけた四の地固めの映像が瞼の裏で交差する。
 
思えば馬場没後、ちょうど20年を迎える。
 
合掌。