高校の国語の先生が、若山牧水の歌の授業になった時、まずは教科書に載った彼の顔写真を指して「いい顔してるでしょう。」と言った。
いい顔? 
その意味が瞬時には図りかね、でもなんとなく心に引っ掛かり、それ以降、“いい顔とは?”と時々自問するようになった。
ある時、リンカーンの「男は40歳になったら自分の顔に責任を持て」の言葉にも出会った。
社会に出、いろんな人と会う機会が増えるに従い、それらの言葉の意味がなんとなく分かるような気がし、また時々そういう“いい顔”の方々を拝見するようにもなった。
勝手な主観であり、誤解かもしれない。でも自分もそうでありたいと願う気持ちが少しあれば、主観で全く構わない、と思う。
 

「寺子屋」の、入学してきたばかりの78歳の子供の顔を見て、同じ寺子屋の生徒でありその首を取れと厳命された菅原道真の子息(若君)の身代わりはこの子だと瞬時に思った主。
その子の顔はいかなるものであっただろう。
他の子どもはいかにも村人の子供然としすぎており、それなりの育ちが推し量られる子供がそこには入学したてのその子しかいなかった、ということはあろうが、それだけだったのだろうか・・・・・
 
歌舞伎の寺子屋はちょうど2年前、勘九郎、七之助兄弟が演じたものを見た。江戸歌舞伎の真骨頂の一つだと思った。
今回初めて見た文楽の寺子屋は、太夫の語りが、なんとも深く、またやるせない。
身代わりと言わずしてわが子を預けた母が言う「お役に立ちましたか?」
子の最後の瞬間を寺子屋の主より「若君の身代わりと言い聞かせたら逃げ隠れもいたさず」「にっこり笑って」迎えたと聞いた時の父親が、嗚咽とともに主に言う「でかしおりました」。
我が子を身代わりにしてまで立てないといけない義理なのか、、、ほんとにそれほどのものなのか、、、
 
わかっちゃいるけど涙を誘う。
 
 
以前も書いたことがあるが、子殺しがテーマになる熊谷陣屋と寺子屋を思う時、その成立とほぼ同じ時代に書かれたメリメの「マテオ・ファルコーネ」における、父親による10歳の子の銃殺のことにも思いをはせてしまう。
メリメ弱冠26歳の作であるあちらは契約論による罪と罰の意識。こちらは儒教的色彩の宮仕えがそのもととなる。
銃殺された時の子供は、よもや自分が父に、との思いであったろう。その時の顔はいかばかりだったであろうか。
一方で、寺子屋に入った身代わりの子供。入った時に主に“見初められた時”の顔、身代わりにといわれて首を差し出した時のにっこりとした顔。
二つの顔が一緒だったとは思わないが、双方ともに「いい顔」をしていたのだろうと思う。
 
洋の東西、それぞれに世界観の違う物語ではあるが、見ながら今回は、「顔」にいささか思いをはせる、そういう舞台となった。
 

雑念と邪念にあふれた顔、、、
命を閉じるときの顔、、、
 
いずれも自分の顔、である。
言い訳の利かぬ、身の丈そのものの、自分の顔、である。