せっかくの決勝戦だったが、なんとなく後味の悪い決勝戦となった。


今回も大将戦までもつれ、前回同様に大将引き分けで日本勝利という状況の中、先に1本とった大将の安藤選手が一本返され、その後の時間は守りに入る。時間浪費の反則を一回取られながらどうにか引き分けに持ち込み、日本の勝利が確定した。
そこまでは前回と一緒だ。しかし今回は審判のジャッジに疑問が残った。
つばぜり合いを途中で止めない、反則を取るのもやや遅い、そして有効打突の判断、のいずれもが結果的に日本に有利に働いた。有効打突の部分についてはもちろん”主観”の話になるのだが、日本人の私から見ても少し甘いと思うようなものが散見された(ちなみにこれは同行された八段複数名を含むほかの日本人の方々も同意見であった)。
有効打突のみならず、物議をかもす可能性のある決勝戦のジャッジだったように思う。


選手たちは今回も頑張った。
絶対負けられなかった前回の日本大会に続き、ソウル開催という完全アウェーでの勝利を目指すということの厳しさ。その過程におけるプレッシャーと、そのプレッシャーに打ち勝つための想像を絶したであろう稽古。
ただでさえ、追われる者として勝ち続けるのは追う者の数倍のエネルギー、努力がいる。


実際、韓国の準々決勝の対フランス戦は、フランスの中堅の打突にいくつか有効打突と思しきものがあり、それが一つでも決まっていればフランスが勝った可能性は少なくなかったかもしれないし(この試合の大将戦に限れば明らかにフランス大将のほうが上手だった)、準決勝の対アメリカ戦も実力的には紙一重だった。その二つの試合に、”追われる側”の韓国のプレッシャーとその戦いぶりが見て取れた。と同時に、それを見て、今回の韓国はこれまでより組みやすいような印象もあった。
しかし決勝戦においての、追われる立場と完全アウェーの二つのプレッシャーはやはり重かった。
それと、決勝までの2戦を苦労して勝った韓国に比べ、日本はほぼ順当に決勝まで5-0で勝ち上がってきたが準決勝戦の台湾戦で決めた打ちのほぼ8割が引き技だった。なんとなく嫌な予感がした。
予感はやはり形となって表れた。


が、にもかかわらず最終的に勝利を成し遂げた、日の丸を背負って戦った選手たちに、心より敬意を表したい。


 
前回、決勝の日韓戦を日本武道館で見ながらいたたまれなくなった。
お互いに、”目指す剣道”とは違うものになっている。団体の国別対抗などやるべきではないと思った。段位別か個人戦のみくらいにしておくべきと記した。
今も基本その考えは変わらない。もっというと、日本の文化である剣道をグローバルに広めることに、その意義を見い出しえない。


しかし、現実問題としてこれだけの国が剣道をやっている。また次回を目指すだろうし、そのための稽古も積むだろう。特に韓国はそうだろう。
団体戦の開催は実際のところ避けて通れなかろう。
であれば、3年に一回はしかたない。
ただそうであれば、少なくとも審判の技術はもっと徹底すべきだ。有効打突の判断も、であるがこちらは正直あまり期待していない。いや、期待できないと思っている。が、それ以外のことはある程度までできるのではないか、、、


 
韓国選手について。
前々回のイタリア大会決勝戦を生中継で見ていて韓国選手のマナーの悪さが目についた。特に有効打突の判定にあからさまな異議を唱えるようなしぐさに嫌悪感があった。しかし前回の日本大会に続き今回もそれがだいぶ修正されているように感じた。むしろ、上記した”物議をかもす可能性のあるジャッジ”の数々に対し、それを飲み込み、引きずらずに新たな次の一合いに勝負をかけようとする、いわば奥が少しずつ深くなっているような印象さえあった。


日本選手について。
地力は韓国選手よりいずれも上だと思う。ただ、西村選手の立ち合いが気になった。プレッシャーに対し、それを上回る何かをあまり感じなかった。3年前、初めて全日本で優勝した時の竹刀落としや相手を押し出したようにも見まがう反則での勝利を思い出した。そういう行為(姿勢)が、最大のプレッシャーの中で「捨てきれるかどうか」に結局つながるのではなかろうかという気がする。


 


 
今回の韓国行きにおいては、団体決勝戦の前二日間、ソウルのクラブチームと稽古・試合を繰り返した。そして夜は二晩ともにガッツリの飲み会(よって二泊三日の中で観光はほとんどできなかった)。
剣を交え、酒を酌み交わして会話をすれば、そしてそれが二晩ともなると、なんとなく彼ら個々人の人となり、考え等もいくらかわかったりする。
今回はそれが自分にとって一番の発見であり刺激となった。


あのフレンドリーさ。性善説で来ようとするかのような接し方。
そしていったん友達になったらその絆はとことん固い。「なにかあったら任せろ!」と言わんばかりに。細かいことは言うな、と顔には書いてあるような気がする。


どこか懐かしいものを感じた。
私の育った村の、しかも子供のころの記憶にそれに似たものがあった。
欧米にはありえない、また同じアジアでも中国にもほぼありえないものが、この国には、ある、、、


むろん、仮に似たようなものがあるとしてもそれに至る日韓の経緯は全く違う。日本は基本的に一民族のみで外から侵略など受けずにずっと平和裏にやってきたが故の自然な形での同一民族間の仲間意識であるのに対して、韓国は常に大国に侵略されたり虐げられたりしてきた歴史が故の親戚・近所・同胞で仲間の強い絆を作り上げる意識。よって日本の仲間意識がややおとなしめ、逆に言うと節度を保ちつつ人と人との関係を構築するのに対し、韓国は節度や遠慮を”水臭いもの”とし、いわばもっと積極的に仲間関係を築く、多少土足でも相手の懐に入る、というような関係の構築方法をとるような気がする。


子供のころ、私の田舎では”朝鮮(人)のような”は、何か劣っている物・事を表現するときに使う形容詞であった。
日本が高度成長して先進国の仲間入りを果たした後、何かと日本を目の敵にするが経済の発展度合いもその規模もまだ日本には及びもしないなどと、自然と上から目線で見てしまっていた国。イチャモンが多い、などと、変に十羽ひとからげでつい見てしまうことの多かった国。
でも、それらがいかに独りよがりの考え方であるか、そして失礼なものの考え方であるか、思い知らされた。


現地を知らずして、、、
恥ずかしい限りである。


 
稽古した場所はとある有名進学高校の道場であり、戦前、日本人が剣道を教えていたとかで、そのころの写真も何枚かパネルとして道場の片隅に置いてあった。その中 に 、数枚の稽古中の写真に隠れて昭和18年の日付の段位の認定証書があった。当時の日本の剣道連盟から韓国の人に渡されたものだ。ふと名前を見ると「崔本」とあった。
宗氏改名後の名前である。最大のアイデンティティ問題である。宗氏改名のことを思うたびに、逆だったらどうだろうかとの思いを禁じ得ない。


 
韓国の連盟の人たちは、昼夜と変わらずフレンドリーに付き合ってくれた。
本心の部分はわからない。
でもこの民族は、耐えるという意味では相当に、耐えに耐えてきたのであろうと思う。
稽古後の昼食をそのパネルが置いてある道場でいっしょにし、彼らとにこやかに談笑しながら、でも上記の名前の部分のことを思うと言葉が出ない。


彼らは最後まで笑顔を絶やさず、かつ礼儀正しく接してくれた。二日もべったりと一緒にいれば、それが作った笑顔であるかどうかはわかる。
その姿が、決勝戦での、”物議をかもす可能性のあるジャッジ”の数々にもかかわらずそれを飲み込んで次の一合いに向きあおうとする韓国選手たちと重なった。



進化しているのは、むしろ彼らのほうなのかもしれない。