茨城 観光12の続き。

今回は、偕楽園 好文亭 藩主の間、楽寿楼を紹介します。


華燈口

奥御殿から茶室に渡る出入り口で、小坊主が控えていて連絡にあたった部屋です。




室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙短冊に書かれていましたが、火災のため

損傷、一部作りなされています。



東広縁




この塗縁の間は斉昭が80歳以上の家臣、90歳以上の庶民の老人を時々招き、

慰安や作詩作歌などをし楽しみました。





東広縁からの眺め



仕切戸は竹篭目紗張り



藩主の間

藩主斉昭が好文亭に来亭の時、ここで文人、墨客、庶民などに接しました。

部屋は紗張戸を用い左右が透かして見えるように工夫され、特に床の間は

設けず、簡素に竹の柱だけが下げてあります。



西塗縁

天井は杉皮網代張りで、ここでも文墨雅人が集まり詩歌を作り、書画を書いたり

しました。



三間と六間の大塗縁の北側と西側各2枚の杉戸には作詩作歌に便利なように、

四声別韻字真仮名平仮名を斉昭が能筆家に書かせ、辞書代わりにしました。



現在の文字は東京芸術大学の教授が復元したものです。



対古軒

ここは好文亭に招かれた人が休んだり、茶席に出る前に、静座して心気を整えるなど

使われた部屋です。

ここに掲げられている丸い刻板は、斉昭の歌を彫ったものです。


対古軒と名付けたのは凡河内躬恒の

世をすてて 山に入る人 山にても なおうきときは いづち行くらん


という古歌に対して斉昭が

世をすてて 山に入る人 山にても なおうきときは ここに来てまし

と詠んだことに基づくものです。




配膳用昇降機(2階)

階下の調理室で作った御膳や酒肴を運搬する滑車式昇降機です。



配膳用昇降機(3階)

御膳を運ぶのに階段を上下しなくてもすむように、この装置が利用されていました。

今日のエレベーターの先駆ともいうべきもので、斉昭の創意によるものと伝えられて

います。


3階へ。


楽寿楼 扁額



楽寿楼

3階を楽寿楼と称します。

部屋は3部屋あり、南に面した8畳が正室で斉昭が出座したところです。


楽寿楼とは「論語」の

智者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ

智者は動き     仁者は静かなり

智者は楽しみ    仁者は寿し


楽は水を、寿は山を表しており、楽寿楼は山水の眺め双方を兼ねた山水双宜の

楼を意味しています。


西側の丸窓は富士見窓で斉昭が作った陣太鼓の余材を用いたものです。


素晴らしい眺めは東南西方の勾欄に寄って周囲の山河の景を集める趣です。


次回、偕楽園 青莪遺徳碑、水戸から笠間まで移動します。