茨城 観光11の続き。

今回は、偕楽園 好文亭 奥御殿を紹介します。



好文亭 入口。

「好文亭」は水戸藩第9代藩主 徳川斉昭(烈公)が別邸として、また藩内の人々と

偕(とも)に楽しむ場として建てたものです。

「好文」とは学問を好むという梅の異名です。


この別邸と太鼓橋廊下でつながる奥御殿を総称して好文亭と呼び、3階を特に

楽寿楼と呼んでいます。


二層三階の建物は杮葺き、奥御殿は茅葺きで、その造形は調和のとれた素朴

清雅な風情を漂わせています。

現在の好文亭・奥御殿は1958年(昭和33)に復元建築されました。



芝前門

好文亭より梅林や萩のある苑側に出るときに使用する門です。

1945年(昭和20)に戦火で焼失、1958年(昭和33)に復元されました。



好文亭に入るには料金が要ります。

大人190円、子供100円です。

好文亭の中は見学が可能です。



好文亭のまずは奥御殿側から見学します。

奥御殿は10室からなる質素な平屋造りで、藩主夫人などの休養の場ですが、城中で

出火した場合の備えとも言われています。

各部屋名に襖絵は、東京芸大の須田珙中氏・田中青坪氏の作です。



羽衣の松





菊の間



桃の間





この2つの板の間は総板敷きで、調理室として利用されました。



つつじの間





萩の間



桜の間

この3部屋は藩主夫人お付きの婦人たちの詰所として利用されました。


紅葉の間



松の間

この2部屋は藩主夫人が城中から好文亭においでになった時、お付きの御殿女中の主だった者が控えていた部屋です。





竹の間



梅の間



清の間

この3部屋は1869年(明治2)に城下柵町の中御殿から移築したもので、斉昭夫人の

貞芳院が1873年(明治6)まで住んでいました。

なかでも梅の間は奥御殿中最も高貴な部屋で、明治以降皇族来亭の折りには休息

室として使用されました。







太鼓橋廊下

太鼓型の廊下の左側に斉昭が考案した篠でつくった格子窓があります。

外からは窓と分からない様工夫されています。


次回、好文亭 藩主の間、楽寿楼を紹介します。