千葉 観光07の続き。

今回は、鋸山 乾坤山日本寺 弘法大師護摩窟、大仏を紹介します。



大仏見学に向かう道すがら、





石仏群に出会いました。




見上げてみると、風雨によって浸食された独特の景観が見えました。



弘法大師護摩窟(東海千五百羅漢のひとつ)

乾坤山曹洞第9世 高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井(現 木更津市)の名工、

大野甚五郎英令が1779年(安永8)~1798年(寛政10)に至る前後21年間に、門弟

27名とともに生涯をかけて1,553体の石仏を刻み、太古よりの風蝕によってできた

奇岩霊窟の間に安置しています。



1,553体という数は、比較するものがないといわれた中国の懐安大中寺の八百羅漢

を凌ぐもので、乾坤山は世界一の羅漢霊場として海外にも知られています。



弘法大師護摩窟

わが国の文化財として貴重なものですが、明治時代の廃仏毀釈によって荒廃、破壊

されたままの状態で、首がないものもちらほら見受けられます。







荒廃しているとはいえ、これだけの数が揃い、独特の景観は迫力があります。

傾斜のきつい階段が多い日本寺境内ではありますが、見る価値はあります。



護摩窟を過ぎ、大仏前参道へ。



大仏広場に到着。



日本寺大仏

1969年(昭和44)6月、4年にわたる復元工事によって再現された大仏で、総高の

高さは31.05m、御丈21.3mの名実ともに日本最大の大仏です。

因みに、奈良東大寺の盧遮那仏は総高18.18m、御丈14.85mです。


原型は1783年(天明3)に、大野甚五郎英令が門弟27名とともに3年を費やして

現在の地に彫刻、完成しました。


当時は8丈(1丈=約3.03m)、台座ともで9丈2尺あり、天下にその偉観を知られて
いましたが、江戸時代末期に自然の風蝕による著しい崩壊があり、1966年(昭和

41)まで荒廃したままでした。


この大仏は、正式には薬師瑠璃光如来と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土

であることを表したものです。


次回、庫裡、大黒堂を紹介します。