北海道 観光51の続き。

今回は、稚内公園を紹介します。


帰りの飛行機の搭乗手続き開始の時間までまだ余裕があるため、駅近くの観光ポイントに

向かいます。

タクシーで10分ほどで稚内公園到着。



南極観測樺太犬訓練記念碑

稚内公園内には像が多数あります。

1956年(昭和31)、日本が初めて南極観測に参加する時、40頭ほどの樺太犬が集め

られ、ここ稚内で8ヶ月間にわたり犬ぞりの訓練が行われました。


犬ぞり隊は、ブリザード荒れ狂う極地で見事な活躍をしましたが、交代するはずの

第2次越冬隊が悪天候のため上陸できず、結局15頭の犬だけが無人の南極大陸に

取り残されることとなりました。



そして1年後、タロとジロの兄弟犬の奇跡的な生存が確認され、このニュースは感動と

ともに世界中に伝えられ、後に映画『南極物語』にもなりました。

この碑は、ここ稚内公園が犬ぞりの訓練地だったことを記念し、樺太犬の功績を讃え

建てられたものです。



九人の乙女の碑

この碑は終戦時、樺太の真岡(現 ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした

9人の女性の慰霊のために建てられたものです。


北緯50度線でソ連と国境に接していた樺太では、1945年(昭和20)8月、ソ連軍の不意の

攻撃を受け40年間にわたる国境の静寂が破られました。


島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり、刻々と迫る身の危険の

中、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが、「皆さんこれが

最後です。さようなら、さようなら…」の言葉を残し、服毒自殺を図りました。

終戦の5日後、8月20日の事でした。



氷雪の門

日本領だった南樺太(現 サハリン)には、終戦当時、約42万人の日本人が生活して

いましたが、ソ連軍の突然の進撃により、人々は全てを捨てて祖国に逃げることに

なりました。



この碑は、帰らぬ樺太への望郷の念と、樺太で亡くなった人達の慰霊のため、1963年

(昭和38)に建てられたものです。

高さ8m、黒大理石の台座、2.4mの女性像からなり、女性が手のひらを見せ天を仰ぐ姿

は全てを失った悲しみを表し、人々の天への祈り、哀訴、そしてたくましい再生への誓い

を表現しています。


天気のよい日には、像の背景に広がる宗谷海峡の向こうに、かつて人々が生活していた

樺太が見えます。



行幸啓記念碑

1968年(昭和43)、この公園においでになられた昭和天皇・皇后両陛下は、9人の乙女の

悲話をお聞きになった時、目頭に涙を浮かべ深く頭をお下げになり、冥福をお祈りされま

した。

この碑には、後日、この時のご感銘を詠まれた御製・御歌が刻まれています。





稚内公園からの稚内港・宗谷海峡の景色。


稚内駅に戻る途中、





野生の鹿が出てきました。

近づくと逃げてしまうので、少し離れたところから撮影しました。


次回、北海道観光最終回 稚内~尾張一宮へ。