北海道 観光45の続き。

今回は、宗谷岬公園 あけぼの像、ラペルーズ顕彰記念碑、旧海軍望楼を紹介します。



おみやげ宗谷岬

このお店では稚内観光協会発行の最北端到達証明書を購入することができます。



日本最北端の海岸から高台へ


そしてこの高台には像が複数あります。

あけぼの像

北海道の牛乳生産量100万tと飼育乳牛50万頭突破を記念して1971年(昭和46)に

建立されたもので、彫刻家 峯孝氏の作品です。

牧柵の前で、若い男女が果てしなく広がる宗谷丘陵を見つめながら力強く立って

おり天北酪農の夜明けを象徴しています。


当地における開拓は、明治中期に始まり末期には雑穀、馬鈴薯など畑作中心の

農業が確立されましたが、冷害などで苦労が絶えず実りが少なかったことから、

畑作のピリオドを打ち昭和20~30年代から酪農への転換が進められました。

稲作の北限線より北に位置する稚内では、農業の大部分を酪農が占めています。



ラペルーズ顕彰記念碑

1785年、フランス国王ルイ16世は世界海洋科学調査航海を命じ、海軍士官の

ラペルーズ伯爵(ジャン・フランゾワ・ド・ガロー)がこの航海の指揮にあたりました。

1787年、2隻の艦艇を率い、北海道北部の海上を探査通過時に、北海道と樺太

(現 サハリン)の海域に海峡を発見しました。


世界海洋界はこの発見と航海者の功績を讃えて、この海峡をラペルーズ海峡と

命名しました。

欧州人として初めて宗谷海峡を通過してから220年になるのを記念して2007年

(平成19)に顕彰碑が建立されました。



稚内と世界各地の友好都市・港湾との位置指図



アメリカ・アンカレッジ、フィリピン・バギオ市などを示してます。



旧海軍望楼

1875年(明治8)、日本とロシアの間で「樺太・千島交換条約」が締結され、それまで

両国民混在の樺太(現 サハリン)の地がロシア領となったことから、国境となった宗谷

周辺はにわかに緊張を増しました。



この望楼は1902年(明治35)に旧日本海軍が建設したもので、当時最強と言われた

ロシア バルチック艦隊の動きを監視するという重要任務が課せられました。



日露戦争の終結とともにその使命を終えたものの、その後は無線通信基地として、

また、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として機能しました。

稚内市内では数少ない現存する明治時代の建物で、1968年(昭和43)に市の有形

文化財に指定されています。



望楼からは宗谷岬、宗谷海峡が見渡せます。


次回、間宮堂を紹介します。