北海道 観光24の続き。
今回は、国指定重要文化財 札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)を紹介します。
JR札幌駅 外観
地下街アピアでは「あまちゃん じぇじぇじぇ~展」が行われていました。
とっておきの映像の公開や、ドラマで使用された制服などの小道具の展示
がされていました。
さっぽろから大通へ向かいます。
大通駅から徒歩12分ほどで到着。
国指定重要文化財 札幌市時計台 外観。
正式名称は旧札幌農学校演武場といいます。
1878年(明治11)、初代教頭W.S.クラーク博士の構想により札幌農学校
演武場として建設され、新渡戸稲造などの優秀な人物を多数輩出しました。
建設当初は時計塔は無く、開拓長官黒田清隆の指示により3年後の1881年
(明治14)に時計塔が付けられました。
アメリカの開拓時代の建築スタイルを取り入れており、北海道開拓史上の
貴重な建物として1970年(昭和45)に国の重要文化財に指定されました。
2009年(平成21)8月には「国内に現存する最古の塔時計」として日本機械
学会より機械遺産に認定されました。
館内は長い歴史を様々な角度から紹介する博物館となっています。
時計の発注書・アメリカの時計会社E.ハワード社の塔時計出荷リスト(写し)
演武場の鐘楼に時計を設置するよう黒田長官の指示と言われています。
第2代教頭ホイラーはアメリカのハワード時計会社に塔時計を発注し、
1879年(明治12)6月、時計機械が横浜に到着しました。
札幌には8月に到着しました。
しかし、時計機械が大きく鐘楼に納まらないため、開拓使札幌本庁などの
関係者はその対応に苦慮しました。
建設中の豊平館に取り付ける案などが検討され、ホイラーの責任を問う声さえ
も出てきました。
これに対し、ホイラーは理路整然と釈明し開拓使を説得しました。
この結果、鐘楼を改修し、時計機械を設置することとなりました。
1881年(明治14)5月~8月にかけ鐘楼を改修を行い、8月12日に時計は動き始め
ました。
札幌農学校は1907年(明治40)までの28年間に859名の卒業生(本科、農芸科、
林学科)を送り出しました。
農学校の教育科目は、農学・工学に人文・自然科学も含む総合的なもので
あり、英語の比重が大きくキリスト教を基礎とする人格教育など特色あるもの
でした。
この教育が後に日本を代表する人物となる新渡戸稲造(教育家・思想家)、内村
鑑三(宗教家)、宮部金吾(植物学者)、有島武郎(作家)などを育てました。
卒業生達は農林水産、港湾治水などの分野で活躍、国内各地で教職に就き、
中等教育を発展させました。
彼らは教師だけでなく、農業、漁業、土木、建築など北海道開拓の様々な分野に
助言、指導を行いました。
全景模型によって当時の農学校の広さ、位置関係、現在との環境の違いを理解
することができます。
時計台の赤星
この星は五陵星といい、開拓使のシンボルマークで北極星をかたどっています。
展示されている星は1878年(明治11)の時計台が建てられた時から、1995年
(平成7)の修復工事まで117年間、時計台を飾っていました。
現在時計台は白と赤で塗装されていますが、かつては緑に塗られていた事も
ありました。
塗装色の調査は、塗装膜のこすり出しによる色の変化の目視、及び塗装試料
の科学分析により行われました。
調査によって外壁板材の年代調査を総合して年代別の塗装色を判定していき
ました。
次回、国指定重要文化財 札幌市時計台(旧札幌農学校演武場) 2階ホールを
紹介します。
では、また。