忘るなよ藪の中なる梅の花

 

ひとゝせ、みやこの空にたび寝せしころ、みちにて行脚の僧にしる人になり侍るに、このはるみちのおく見にゆくとて、わが草庵をとひければ、

 

またもとへやぶの中なる梅花    真蹟「あつめ句」 貞享四年(1687) 「栞集」

 

鶯や柳のうしろ藪のまへ   「続猿蓑」元禄五年

鶯や竹の子藪に老を鳴く     「別座鋪」元禄七年 

 

 

芭蕉v.s井月

 

しばしかくれゐける人に申遣す

先祝へ梅を心の冬篭り    蕉

 

千両と傅き給へ花の兄    月

 

 

大正十年(1921)十月 下島勲編「井月の句集」世に出る

        四月 法隆寺 太子千三百回忌御会

大正十一年(1922)一月 「藪の中」芥川龍之介 新潮に掲載 

         七月 「庭」芥川龍之介  中央公論に掲載

大正十四年 『明星』1925年3月号 芥川龍之介の旋頭歌『越し人』掲載。

 

「藪の中」「庭」共に、芥川は井月を思考して生れた作品ではないか。さらに大正十四年に発表された旋頭歌『越し人』は、片山廣子に捧げた旋頭歌なるが、これも井月の存在が深く影を落としていると、私には思える。

 

「藪の中」

芥川はこの掌編のタイトルをどうやって選んだのか。井月をみていて、芭蕉をみていて、おそらく芭蕉のこの句を読んだのであろう。

「ひとゝせ、みやこの空にたび寝せしころ、みちにて行脚の僧にしる人になり侍るに、このはるみちのおく見にゆくとて、わが草庵をとひければ、

またもとへやぶの中なる梅花

               真蹟「あつめ句」

また再案として、

忘るなよ藪の中なる梅の花  泊船集

 

行脚の僧とは「野ざらし紀行」途中で会って路通と思われるが、作句年は貞享三あるいは四年。誰であれ、芥川はこれを井月とみたのではないか。みちのくに旅立つ者への餞別句には心情がそのままで成る。

 

*抖擻/斗藪(とそう とすう)① 衣食住に対する欲望をはらいのけ、身心を清浄にすること。また、その修行。②雑念をはらって心を一つに集めること。…僧侶が仏法修行のため諸国行脚に出ることことをも言うようだ。そのまま読むと「藪を斗る」。ひしゃく・藪 ①やぶ。草・低木・タケなどが生い茂っているところ。「竹藪」 ②さわ。沼池。草木が生い茂って鳥獣が集まるところ。「藪沢」 ③物事の集まるところ。「淵藪」

《〈梵〉dhūtaの訳。音字は頭陀》 人里はなれた静かな場所にに住む、常に乞食を行う、衣以外はもたない。

 

門人何がしみちのくに下るを馬のはなむけしたまひて

 

私的には、藪に北斗・南斗を配することと理解する。

井月に、藪を詠んだ句はないか探してみたがほぼ見つからず、一つだけ、全集の拾遺にある。

凉風や千里の藪も思はるる

(虎画賛)とあって、虎に対して「凉」を詠んだものか、「藪」を詠んだものか。

否、もうひとつ連句の中にある。

咲かゝる花に経よむ藪の鶯

 

芭蕉には、藪の句はいくつかある。

紫陽花や藪を小庭の別座鋪

嵐山藪の茂りや風の筋

藪椿門はむぐらの若葉哉

鶯や柳のうしろ藪のまへ

鶯や竹の子藪に老を鳴く

秋風や藪も畠も不破の関

 

おおかた藪を外から対象化して詠むようだが、「忘るなよ藪の中なる梅の花」というように「藪」の内部に有るらしき「梅の花」に視点を惹く句は藪の全体像が茫漠として広がる。

 

「洛の何某去来が別墅は下嵯峨の藪の中にして、嵐山のふもと、大井川の流に近し。此地閑寂の便りありて、心すむべきなり。彼去来物ぐさきおのこにて、窓前の艸高く、數株の柿の木枝さしおほひ、五月雨漏尽して畳・障子かびくさく、打臥もいと不自由なり。日かげこそかへりてあるじのもてなしとぞなれりけれ。

五月雨や色帋へぎたる壁の跡    芭蕉庵桃青 」

 

元禄四年夏の作。京の落柿舎しばし滞在の折の文。散文で「藪の中」を言い当てるのは、よほどの関心であろう。

 

さらに、落柿舎滞在の折「嵯峨日記」では、  

「十九日 午半、臨川寺*ニ詣。大井川*前に流て、嵐山右 ニ高く、松の尾里*につヾけり。虚空蔵*に詣 ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有*。都て上下の嵯峨*ニ三 所有、いづれか慥ならむ。彼仲国*ガ駒をとめたる處とて、駒留の橋と云、此あたりに侍れば、暫是によるべきにや*。墓ハ三間屋の隣、藪の内にあり。しるしニ桜を植たり。かしこくも錦繍綾羅*の上に起臥して、 終籔中に塵あくた*となれり。昭君村*の柳、 普(巫)女廟*の花の昔も おもひやらる。

 

うきふしや竹の子となる人の果

嵐山藪の茂りや風の筋

 

平家隆盛の頃嵐山辺りの藪の有り様と「嵯峨日記」元禄四年の藪の様ではだいぶ異なるものだろう。小督の屋敷跡は二三有るという。ともかくも小督は藪の内に隠れた。

 

 

もう一人「藪」詠みの名手と思われる江戸期の俳人がいる。与謝蕪村。

が、蕪村に「藪」を単独に詠んだもの意外と少ない。

 

笋の藪の案内やおとしざし

 臨終に詠んだ三句の一つ。

うぐひすや何ごそつかす藪の霜

 

「藪入」がお気に入りのようだ。

 

やぶ入の夢や小豆の煮るうち

藪いりやよそ目ながらの愛宕山

やぶいりや守袋をわすれ草

養父入や鉄漿もらひ来る傘の下

やぶ入は中山寺の男かな

やぶ入や浪花を出て長柄川

やぶ入の宿は狂女の隣かな

やぶ入や鳩にめでつゝ男山

養父入を守れ子安の地蔵尊

 

藪入りの藪は本来の藪とは余り関係ないはずだが、蕪村にとっては藪は藪入りと同義とみえる。(藪入りの女をテーマの「春風馬堤ノ曲」は殊に趣深い)

 

*やぶ(名)藪〔彌生やふノ義カト云フ。左傳、宣公十五年「山藪蔵疾」疏「藪、是草木積聚之處」〕 (一)木草竹ナド、何ニテモ彌ガ上ニ生ヒ茂レルトコロ。オドロ。(二)今、専ラ、竹藪ヲ略シテ云フ。タカムラ。竹叢。

(大言海)

*やぶいり(名)藪入〔遊山、蹈靑ト同意、藪ハ草深キ義、都ヨリ草深キ田舎ニ歸ル意ナリ、野径ニ逍遥スルヲやぶいりト云ヒケム(七月十六日ノつといりニ関係アルカ)或ハ云フ、孤獨、又ハ、遠郷ノ者ハ、藪林ニ入リテ遊息シタルニ起ルト、又、大坂北邊ニテ、陰暦五月五日、牛ヲ野ニ放チテ遊バシムルヲ、牛ノやぶいりト云フト云フ、是等語原ナルベキカ〕奴婢ノ、一時、暇ヲ得テ、己レガ家ニ歸リテ遊息スルコト。又、女子ノ奉公スルモノ、歳ニ一二度、歸寧スルコト。正月、七月ノ十六日ニ云フ。略シテ、やぶり。ヤドサガリ。ヤドオリ。ヤドイリ。

 

井月が、「藪の中」「藪」に無関心であったはずはない。蕪村の藪入りもそのように思考しただろう。芥川→芭蕉←井月←芥川、花の兄(梅)の系はこのような図式か。それでも「藪」「藪の中」を対象化できぬまま放浪あるいは漂泊をつづけていたのではないか。「梅の花」には強い関心を示していた。

 

しばしかくれゐける人に申遣す

先祝へ梅を心の冬篭り    蕉

「しばしかくれゐける人」というのは、誰だろう。権七というが。

 

千両と傅き給へ花の兄    月