『鉱ARAGANE』を見たのはみなみ会館でした。
2021年2月26日。
あの頃はまだみなみ会館がありました。
そしてまだ私はまだ働いていたので、
午後何時間か休暇をとって、京阪・近鉄と乗り継いで東寺駅で降りました。
『鉱ARAGANE』は2015年、『セノーテ』が2019年なので、
小特集でも組まれていたのか、もう分かりませんが、
その日監督が来館されることになっていました。
どうして地味なドキュメンタリー映画を見ようとしたかというと、
前年に発売された
蓮實重彥著『見るレッスン 映画史特別講義』を読むと、
『鉱ARAGANE』が激賞されていたからでした。
しかし正直なところどこがそんなにすばらしいのかよく分かりませんでした。
撮影はそうとう大変そうだし、
とにかく冒頭から爆音が強烈だった、ぐらいの印象でした。
『鉱ARAGANE』はボスニア・ヘルツェゴビナの
ブレザ炭鉱で撮影された作品で、
地下300メートルで働く抗夫たちを撮っています。
なぜボスニア・ヘルツェゴビナの炭鉱かというと、
小田さんはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにある
巨匠タル・ベーラ監督の映画学校で学んでいて、
卒業制作として『鉱ARAGANE』を製作したからです。
というのがその日小田監督のお話から理解していた理由でした。
今ウィキペディアで確かめると、
タル・ベーラ監督の若手育成プログラムに
応募・合格してその一期生となった、
とあります。
お金さえ払えば先着順で入れてくれる専門学校とは、
やっぱり違うわけですね。
その後『セノーテ』を見るチャンスをなんとなく逃して、
2025年5月2日、出町座で『Undergroundアンダーグラウンド』と
短編集を見ました。
その後、別室で小田監督とドイツ映画研究の渋谷哲也さんによる
アフタートークが約1時間ありました。
『Undergroundアンダーグラウンド』は
『鉱ARAGANE』、『セノーテ』に続く地下世界三部作の完結編です。
ナレーション等がなくて一見無関係なシーンが
次々出てくるだけなので、
10日もたった今覚えているのは、
日本人の女性が登場して朝目を覚まして体操をしていた、
というシーンと沖縄のガマらしい洞窟の中くらいです。
戦局が不利になって洞窟に避難した母親が
必死になって子どものために食べ物をわけてもらった、
ということを語り部の老人がゆっくり、
とてつもなく分かりやすく語ってくれました。
ほとんど映像だけの83分間の中で
唯一ことばが出てきたシーンだったので印象的だったのでしょう。
しかもそれはしっかりと言葉を伝えたいと
思っている人が語った言葉でした。
高校教師として何度か沖縄の修学旅行へ
生徒を引率して行きましたが、
平和学習が流行らなくなって、
マリンスポーツと観光が主体でした。
私自身ガマで語り部のお話を聞いた経験はありませんでした。
最近、自民党の西田議員によるひめゆりの塔に関する
発言が問題になりました。
確かに、歴史に学ぼうとせず、
自分に都合のよいことを言いたがる人がいます。
平和学習を忘れてはいけないなと思います。
とは言っても作品内での意味を考えると、
小田監督はおそらく
地下世界で死と最接近した経験を語る言葉を
『Undergroundアンダーグラウンド』の地下・基底部と
したかったのではないか、と思います。
まあ、よく覚えていないのに偉そうなことは言えませんが。
今回も蓮實重彥氏が激賞するポイントは分かりませんでしたが、
川べりの映像にタルコフスキー的な美しさを感じました。
(続く)