なぜか同時期に同工異曲のドラマが放送されることがよくある。
この春のドラマでは記憶喪失が花盛りだ。
「9ボーダー」では七苗(川口春奈)が出会ったコウタロウ(松下洸平)が
記憶喪失で自分が誰か分からない。
コウタロウは一種の転校生であり、
ミステリアスな属性も魅力のうちといったところ。
一方「くるり~誰が私に恋をした」では
事故で記憶喪失になってしまった緒方まこと(生見愛瑠)は
手元にあった男性用の指輪を誰に贈るつもりだったか分からない。
同僚の朝日結生(神尾楓珠)や、
フラワーショップの店主で元カレを名乗る西公太郎(瀬戸康史)に
素性があやしい板垣律(宮世琉弥)まで加わって、
誰が本命か分からない。
リングがぴったりの男性をさがすというロマンチックな逆シンデレラ的探究譚。
どちらのヒロインも
たいした理由もなく恵まれた職をやめてしまう。
まことはかつてそうであったと教えられた自分に
なじめないものをかんじていた。
二十代のうちに部長代理にまで出世した七苗
は管理職としての仕事内容が好きになれなかった、
ということらしいが、
自由なコウタロウの生き方に
いつの間にか影響されていたのかもしれない。
「燕は戻って来ないこない」の貧困に苦しむリキ(石橋静河)
に、
贅沢言うなと一喝されそうだ。
「約束」では、高校生だった頃、
葵(中村アン)は口にビー玉を詰めた遺体を見たショックで
事件直前の記憶を失ってしまった。
葵の父が連続殺人犯として逮捕後、留置所内で病死したが、
父の無罪を信じ葵は事件の真相を探る。
事件のショックでその直前の記憶を失うというのは、
素人考えでは一番リアリティがありそうだ。
一方で記憶がよみがえることで一挙に真相に近づけるという、
切り札を手元においた作劇術だと評することもできる。
一番重症なのは「アンメット」の脳外科医ミヤビ(杉咲花)である。
事故で過去2年間の記憶を失っただけでなく、
一日の記憶は翌日には消えてしまうので、
毎朝日記を読まねばならない。
看護助手として働いているが外科医として復帰できるのか、
というのが一つの注目点。
個人的には
翌日には記憶が消えてしまうという記憶障害に
フィクションで出会ったのは、
後藤ひろひと作の「ミッドサマーキャロル ガマ王子 vs ザリガニ魔人」だった。
2004年の初演版で、始めて長谷川京子を見た舞台でもあった。
2008年には「パコと魔法の絵本」というタイトルで映画化され、
公開3週目で100万人を動員するヒットになった。
映画は見なかったが、
高校の文化祭で「パコと魔法の絵本」を
上演しようとしたクラスがあって、
意外と知られている作品なのかと思った。
2003年発行の、小川洋子の「博士の愛した数式」では
博士の記憶は80分しか持たなかった。
そんな厳しい前提条件で
よく一篇の小説がなったものとあらためて感心する。
ウィキペディアによると第一回本屋大賞だそうだ。
2006年公開の映画は博士役の寺尾聰は覚えているが、
杏子は永作博美だと思いこんでいたが、深津絵里だそうだ。
まあそれはどうでもよくて、
短時間しか記憶が持続しない
ヒロインが登場する佳品を思い出した。
中川龍太郎監督、
「静かな雨」(2020年)である。
それほど知られた作ではないと思うが、
W主演の仲野太賀のホットさと
衛藤美彩の毅然とした感じが印象に残っている。
後藤が「博士の愛した数式」から
記憶障害というアイデアを得たかどうかは分からないが、
時期的に近いことだけは確か。
それはともかく、
後藤ひろひととしてもかなり力を入れた三部作の掉尾を飾る
「ミッドサマーキャロル」は堂々たる代表作になった。
ここまで書いたところで中断して
「366日」第5話を見ると
事故で長期間意識不明だった遙斗が目を覚ますと、
明日香をはじめ家族の顔を見ても誰か分からない。
「366日」も記憶障害ドラマに参入した模様。
ただし第5話の終わりでは
記憶を取り戻しかけたようなのでこの方向にひっぱてゆく気はなさそうだ。
自己に縛られることが不幸の源であるなら、
自己を忘れることは解放であり喜びである。
現実に記憶障害で苦しんでいる人には悪いが、
記憶喪失は秘められた憧れであるかもしれない。
現実には、ドラマチックに記憶を喪失することはめったにないだろうが、
自己を離れるためには今風の方法も用意されている。
「VRおじさんの初恋」が示しているように、
電脳空間別に別の自分として生きればよいのである。