主演、松岡茉優、監督脚本、石井裕也ということで「愛にイナズマ」をかなり期待して見に行った。

松岡演じる映画監督が自分の家族を素材にした映画を撮ろうとするが、

プロデューサーに騙され助監督をするはずだった男に監督の座を奪われてしまう。

それでも、長らく音信を断っていた家族のもとに戻って映画を作り続けようとする、というのがあらすじ。

オールスターキャストであり、部分部分は面白いところも多々あったものの、

なんだかモヤモヤが残った。
 前半は映画を撮るためにヒロインは

三浦貴大演じる助監督のあまりに狭量で無理解な意見の押しつけにも耐えているのだが、

―これがかなりしつこく描かれる―

最終的に傑作映画を完成させることで「復讐」を成し遂げるという

分かりやすいハッピーエンドとはならない。

そのかわり家族の絆を取り戻せたことが、ある種のハッピーエンドではある。

結局描きたいのが、映画創作の話というより家族の物語であるなら、

前半部分はもっとあっさり描いて、

上映時間約2時間半を2時間以内におさめればもっとすっき

りした作品になっただろう。

結局奪われてしまった作品を凌駕するような創造が可能だったのかどうか、

それがはっきり描かれていない。

結局映画製作の話は後回しでいいのか。

その辺がモヤモヤの原因である。


 家に帰ってから、先週放送された、

NHKスペシャル シリーズ“宗教2世”「神の子はつぶやく」の録画を見た。

これもまた家族の物語なのだが、母親と娘二人はある(架空の)宗教の信者で、

信仰を持たない父親は家族のために必死で働き、過労のため亡くなってしまう。

長女は重体の父親をおいて宗教上の集会に出た母親に反発して家を飛び出すものの、

簡単には信仰を棄てられない、といったかなり重いストーリーである。
 宗教とエロスの問題にまで切り込んだあたりにかなり本気度を感じた。

(このテーマ関連では島田裕巳著『性と宗教』、岡田温司著『キリストと性』といった新書を購入したがまだ読んでいない。

映画では何といっても園子温監督の『愛のむきだし』が必見の快作/怪作だ。)


 宗教などしょせん詐欺の一種と考えている私だが、

主演の長女役河合優実、父親役森山未來、母親役田中麗奈などキャスト陣の好演もあって、

作品としてこちらの方がずっとまとまりがよかった、と思う。

 

さて以上の文をアップした翌朝、

この二本の作品には宗教というつながりがあることに気がついた。

「愛にイナズマ」のヒロイン花子の家族のうち

次男はカトリックの聖職者となり父親も入信していた。

食事の前にはその二人だけ、神に感謝の祈りを捧げる、というシーンがある。

「神の子はつぶやく」でも同じようなシーンがあった。

すなわち誰もがとる食事の前に信仰を持つものだけが、祈るという家族の情景。

花子の父親は友人の娘をもてあそんだ男を殴って片目を失明させ、

傷害罪に問われた、という過去があるので,

贖罪の意識から入信したのであろうと想像できる。

次男の方は性格が真面目すぎるため、ということらしいが、

このあたりはあまり詳しく描かれていない。

教会の内部がわりとすっきりした感じだったので、

そのあたりはプロテスタント風だと思ったが、

あまりそのあたり意味はなさそうだ。

長男から「カルト」と呼ばれて、「カトリック」だと言い返すという面白い場面があったが、

音の面でこのやりとりは「カルト」と「カトリック」の2語が頭韻を踏み、

歯切れの良いリズム感を生んでいる。

俗臭を紛々とさせた長男との対比で

真面目すぎる次男を聖職者という設定にしたのだろうと思うが、

内面の問題として深掘りするのは無理なようだ。


 その他「愛にイナズマ」に関して追加しておきたいことが二点。
 花子の撮ろうとしている映画の予算が1500万円、

長男が自慢する高級車が1500万円、

父親が怪我をさせた相手に払った慰謝料が1500万円、

といったぐあいに1500万円という金額が繰り返し出てくるのも面白いところである。

大金だが個人の努力で何とかなりそうな額ということだろうか。
 

正義のテーマについても繰り返しが見られる。

花子があくまで映画を撮り続けるということは

企画を奪うという不正に屈しない生き方である。

父親の復讐は家庭崩壊を導き、

詐欺集団を許せない長男はひとりで殴り込みをかけ逆に負傷する。

詐欺集団は野放しのままである。

正義感に基づく行動は肯定的に捉えられているようでいて、

それが暴力によるものである場合は代価を払わねばならないし、

必ずしも望ましい結果を生むとは限らない。

花子が傑作を完成できれば、

唯一それが完全に肯定できる結果として言祝ぐこともできようが。