おかげ様で本日#フランス旅行で第1位
一瞬のことですが、ありがとうございます!!
特別にこの日のためというわけではないが、少し前に購入した『革命か反抗かーカミュ=サルトル論争』を読み終えた。
新潮文庫の奥付を見ると昭和44年(1969)11/30発行となっているから、もう45年前のものだ。
(Amazonの紹介ページより)
歴史を絶対視するマルクス主義を批判し、暴力革命を否定し、人間性を侵すすべてのものに“ノン"と言い続けることを説いたカミュ。彼の長編評論『反抗的人間』の発表をきっかけにして起きたサルトルとの激しい論争を全文収録。カミュ、サルトル二人の思想の相違点を知るとともに、現代における人間の尊厳、自由について考えさせる必読の書。ほかにF・ジャンソンの二論文を収める。
だが今回自分が手に入れたのは偶然だが
上の写真の1969年版のものではなくこちらの1953年版のもの
1953年1/1発刊の英語版を翻訳したもの
(\110の定価が裏に記されている)
フランスでこのカミュの『反抗的人間』が出版されたのは1969年を遡る18年前の1951年。
(追記)その後サルトル主宰の雑誌『現代』の1952年の5月号に「アルベール・カミュあるいは反抗心」と題してF・ジャンソンが記事を投稿したのが発端となり、この『革命か反抗か』の文庫本というものが出版されるに至った。
おそらく当時フランスで出版され評判になったのが英語に訳され、その波に遅れまいとして急いで新潮社が日本語に訳したものと思われる。
さて本題に入ろう。
その前に断っておきたいことが幾つかある。
まず自分は二人の論争の詳細部分の如何についてあれこれ言えるような知識など持ち合わせる立場にはいないこと。
またカミュの作品の幾つかは読んでいて好きな作家の1人であるが、サルトルについては皆無ではないにしても哲学や思想となるとまだ何も言えるようなものを持ち合わせていない。
そんな自分が語れることは、2人の論争を傍目から通して感じる人間としての在り方というか、つまりは姿勢についてである。あくまでもこの本に限っての個人的な感想のようなものといえるかもしれない。
論争は対話を通じて行われる。
対話というものを<善く生きるためのもの>として何よりも大切に考えたソクラテスを思いながら、自分はこれをカミュ=サルトル<論争>ではなくあくまでも対話の延長線上にあるものとして捉えたいと思うのだ。
またこの対話は直接対面によるものではなく、雑誌上に掲載された文章に対して二回に渡って答えるという形をとったものである点も一風変わっていると言える。
そのうちカミュとサルトル2人だけの相互対話と呼べるものは一回だけで、最初と最後の対話はF・ジャンソンというカミュにとってはサルトルの代理人的人物が代わりに答えている。どういうことか説明すると、発端はまずジャンソン→カミュへの対話からスタートし、その後の流れとしては通常ならカミュ→ジャンソンに答えるという形になるものを、なんとカミュはジャンソン本人を飛び越え(無視して)カミュVSサルトルという直接対決の形をとっている点にも大いに注目すべきだろう。
おそらく最初これを読んだものはこの点に違和感を抱いたのではないだろうか。
なぜカミュはそんなことをしたのか?
1人の同じ人間として自分の身に置き据えてみる。まず自分に向かって何か返答を求められたら、内容に関わりなくともかくは直接本人に返答するのが筋ではないか。自分は<論争の>中身よりも実は最初からそのことがずっと心に引っかかっていた。
それでカミュの立場を勝手に推測してみれば、どうやらカミュに対するマイナスのイメージが増していくばかりだ。
以下は自分自身の心との対話である。
カミュはサルトルとは同等の立場にあると考えているが、サルトルの同志であるジャンソンに対しては弟子的な人物としての評価しかない。だから対談相手としては役不足のため、直接対話をサルトルに試みた。或いはカミュはサルトルの対話の中でも「十年来の交友関係にある僕を編集長殿と呼ぶ」ということを良くない意味で指摘されているが、雑誌『現代』に掲載された時点ですべての事柄の責任者は編集長にあるのは当然なので、そのほうが手っ取り早く対話が可能と考えた。どちらにしてもカミュの態度は納得できるものとは言い難いのではないだろうか。
そんなカミュがサルトルへ<『現代』の編集長への手紙>として寄稿した対話に改めて注目してみると、全体の調子というか流れる自分の主張を語る熱量にはすさまじいものがある。相手側から挑戦状を叩きつけられ受け手側としては反駁する立場になるのだからそれも仕方がないだろう。真意はわからないが、カミュはジャンソンの名前を無視するどころかジャンソンの寄稿したものをサルトル自身が書いたようにも話す始末だ。
一方で<A・カミュに答える>としてサルトルがそれに返答した対話の内容は、一見すると理路整然、終始冷静沈着といった雰囲気に包まれている。両者を比べると、まるで食って掛かる子供を大人が宥め諭しているような感じにも思える。(しかしまた別の角度から見れば揚げ足取りのように感じなくもない)。
将棋や囲碁の世界のように論争という対話の世界に於いては、必ずしも先手必勝という技は通用しないのかもしれない。
これまでの様子だと勝敗は別にして、お気に入りの作家カミュがマイナスイメージどころか嫌な人物として捉えられてしまいそうだ。という訳でこの辺で改めて無視され続けてきたジャンソンの言い分にも少し耳を傾けることにしよう。
最後のカミュに対する挑戦的対話<遠慮なく言えば……>において、彼は黙殺され続けたことに対する思いを晴らすべくよくぞここまで言うかと思うぐらいの言葉をカミュに向かって浴びせる。その中にはカミュ自身おそらく認めたくないこと、どうしようもない事実が露わにされる。
「君は教養によってブルジョワになった。
生まれつきだろうがそうでなかろうが
そんなことはどうでもいい」
それはリフレインのように「君は貧民出身だったかもしれないが、いまはちがう。君はジャンソンや僕とおなじようにブルジョワだ」とサルトルにも繰り返されるものである。極めつけは「そのようにブルジョワ的教養で形成された意識は、世界に関して、プロレタリアの意識による見解を実際的にもつことができないと思う」というジャンソンの言葉で、これはまさにカミュにとっては致命的以外の何物でもない。プロレタリアの側に立ち<反抗的人間>でありたいと願う彼にとって。それにそんな不安定な立場を維持するというのは果たして可能なのだろうか。
理想と現実の中で彼の願う<反抗的人間>とはどうやって自由に生きることが可能なのか。
(訂正)『革命か反抗か』というタイトルは、反抗はカミュ側の立場で、革命はサルトル側の立場を示すのだろうか。その違いは前者に於いては絶対者の否定による観念論的なモラリストに留まるというもの、後者は現実に歴史というものに参加しながら革命的手段を用いた行動に出るかに分かれるもの、しかしそう簡単に割り切ってしまえるものなのかどうか。
(追記として)
ジャンソン(=サルトル)に浴びせかけられた上の辛辣な言葉に対して、カミュがその事実を黙って認めるしかなかったとしても、カミュの言い分にも一理あることは認めぬわけにはいかないだろう。
「彼(サルトル側)によれば「人はコミュニストか、ブルジョワにしかなれない」らしい。
しかし現代の歴史のすべてを失わないために、同時にその両者であることを選んでいる。
彼はコミュニストとして非難するが、ブルジョワとして事実を曲げる。
しかし人はブルジョワであることを恥じなければコミニュストになれないか、その逆である」
ここで今一度カミュのいう「反抗的人間とはどういうものか」をはっきりさせておこう。
反抗は原則的に死に反対する
―『反抗的人間』より―
<あとがき>より訳者であるフランス文学者の佐藤朔氏の言葉を引用する。
カミュのいう反抗的人間は、いかなる場合でも人間性を尊重し、人間の尊厳を失わずに、許される限りの自由と幸福を手に入れようと努力する。反抗的人間の求める自由にも制限があり、それは何事にも許されるということではない。殺人までも許すという絶対的な自由は、人間にはあたえられていない。だからもし反抗的人間が大義名分のもとに殺人を犯すとすれば、みずからの命をたつことによって、人間の尊厳をまもるべきだとする。
カミュは反抗的態度を、革命的手段よりも人間の尺度にあった方法であると思い、革命によって一挙に征服をなしとげるのではなく、反抗をたえ間なく繰り返すことによって徐々に勝利を占めようとする。
ー追記終わりー
これら全体を通して感じることは、やはり文学者であるカミュと
哲学者であるサルトルや同志ジャンソンの<視線の違い>である。
これ以上対話を繰り返したところで平行線は続くだろうし
両者が一つの結論に達するのは難しい。
「哲学とは生き方の問題である」と言われるように、古代の哲学者たちの生き方は信仰する宗教のために殉教した人々と同じように、自分の望まない生き方を相手に押しつけられるぐらいなら命をも厭わない覚悟があった。
現代ではそこまでではなくとも、それぐらいの覚悟を持って生きることが哲学者としての在り様のように思う。
それが自分自身に対する誠実さというものの証として、また互いの立場を守る(尊重する)ために2人はこの対話を最後に絶交という形を取らざるを得なかったのではないだろうか。
フランスという国は言うまでもなくデカルトを生んだ哲学の国。
一人一人の人間に哲学の伝統というものが生活の中に自然に息づいているように、自分のような旅行者でさえ感じたりする瞬間もある。そのような市民の手により自由を求めて「フランス革命」というものが勝ち取られ、今日7/14はフランス共和国の誕生したお祝いの日。個人としてはパリから遠く離れたこの土地でわが心の故郷を素直に祝いたい。
Le 14 juillet
だが自由というものを大切にしたカミュにとって、革命というものが彼の否定する暴力や死と無縁ではあり得ない以上、この日を心から喜ぶことは決してなかったはずである。彼が毎年どのような一日を過ごしたか知りたいものだ。
最後に文学者としてのカミュへ
オマージュを込めて……
もっと日常に対話と文学&哲学を!!
by vingt-sann
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