PARIS近郊の町プロヴァンを訪れたのは2014年8月
あれからもう7年…
“プロヴァン”といえば
一つ前の記事で御紹介した『聖人伝 プロティノスの彼方へ/立木鷹志著』
こちらの小説の舞台であり、テンプル騎士団と縁の深い町だ。
サン・ルイ島と5区左岸を結ぶPont de la Tournelle(トゥールネル橋)の上で
(2014.8/21撮影)
まだ火事に見舞われる前のノートルダム大聖堂をバックに
プロヴァンへ行く前日、通りがかりの人に撮影をお願いしたもの。
懐かしい何気ないこの1枚の写真が
熱い紅茶に浸したマドレーヌのように幸福な思い出を甦えらせる。
という訳でいざ、プロヴァンへ
“小説の舞台となったこの町の雰囲気を知って頂こうと
今回は趣向を少し変え、初めて町を訪れた旅人のつもりになって御紹介”
シャンパーニュ地方の商業都市としてこの町が栄えたのは11世紀~13世紀頃。
「中世市場都市プロヴァン」として世界遺産に登録されたのは2001年12月。
パリ東駅から約1時間20分程でプロヴァンの駅へ到着。
窓口で町の観光案内図や地図が載った日本語のパンフをもらって
この町の全体図をまずは眺めてみよう。
黄色の〇印で囲ったのが訪れた主要な場所(Ⓘは除く)
プロヴァン駅方向
ご覧のように町の中心部は高台にあり徒歩で20分ほどの距離。
今回はシンボルであるⒺセザール塔までの道程を歩いてみることに。
さあ、一緒に On y va( Let's Go!)
中世の街並みが続く通り。
まずは正面に聳えるドーム型の屋根方向めざして進もう。
外を歩く人の姿は全く見かけない。見かけるのは駐車している車のみ。
城壁の町らしい佇まいはこんな脇道にも。
うねうねと続く緩いなだらかな坂を上ってゆく。
このどかな街並みと風景は中世から変わっていないのだろう。
さ
ら
に
く
と
“ジャーン”
先程のドーム型した屋根が姿を現した。
さて、何の建物だろう?
天辺に十字架が見えるから教会?
建物の正面に到着。
ずいぶん大きな建物のようで全貌が見渡せない。
後の調べでこの建物は<サン・キリアス参事会管理聖堂>とわかった。
シャンパーニュ伯アンリ一世が己の富と繁栄のシンボルとして12世紀に建設。
だが200年の月日をかけても完成に至らず、現在も未完成のまま。
原因は手を拡げすぎて資金難に陥ったこと。
またドーム型の丸天井は、17世紀に火事で天井が崩壊したため
建設されたということだ。
※画像拝借
本当は黄色の✞辺りまで身廊を拡げる予定だった。
上のキリアス広場の✞のアップ
(ここが正面入り口になる予定だった)
今回新たに調べて一つ興味深かったこと
それはジャンヌ・ダルクがシャルル七世の戴冠式を終えた後に
ここプロヴァンに滞在し、この聖堂において
シャルル七世共々ミサに預かったということだ。
それは「1429年8月3日」のこと。
その記念プレートが正面の壁に掲げられているようだ。
(残念ながらそれには気付かなかった)
実在の人物の足跡がこうして感じられることで
小説の舞台のイメージも膨らんでゆきそうだ。
せっかくなので聖堂の中へ入ってみよう。
派手さはないが、歴史の重みが感じられる内部だ。
さあ、次はいよいよ
町のシンボルの“セザール塔”へ。
次回続きは coming soon
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