「シュヴァルの理想宮」に見る愛のかたち | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

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わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

―ある郵便配達員の夢―というサブタイトルがついたこの物語は、2018年制作のフランス映画で実話を基に映画化したもの。サブタイトルが示すように、これは33年という途方もない歳月をかけたった一人で想像を絶するような夢の宮殿を創った男の物語である。

専門的な建築の知識もないままに雑誌や絵葉書で見たアンコールワットの遺跡やイースター島に並ぶモアイ像の石像彫刻、その他様々な建築様式から着想を得て創り上げたその奇想天外な“姿“を映像で眺められるだけでもこの映画を観る意味はあると思うが、それは見てのお楽しみということで、ここではそれ以外の物語の部分に触れようと思う。

 

ジョゼフ=フェルディナン・シュヴァル(1836~1924)

 

尚、この映画についてはいつも芸術的な分野で知的な刺激を頂いているGonさんが詳しく解説されているので、ぜひ併せてそちらをご覧頂ければと思います。

「Gon のあれこれ」→ https://ameblo.jp/gonsun/entry-12560791646.html

 

 

クローバー

まず物語の核と言えるのは、主人公シュヴァルの家族に対する愛のかたちだろう。

人付き合いが極端に苦手で周りから偏屈と囁かれる彼は、最初の妻の葬式に出るのも躊躇うほどで、残された一人息子も一人では育てる自信もなく結局は妻の姉妹に里子に出す始末。

その後再婚した妻が身籠ったのを知っても喜ぶどころか「困った、育て方がわからないんだ」と頭を抱える。           

ここまで見る分では、彼は大人になりきれない典型的な駄目男丸出しである。

妻もよくぞこんな男を放り出さずにいると感心するけど辛抱強く温かい眼差しを注いでいるのは、彼の内に持つ純粋さにきっと何よりも惹かれているからだろう。そんな妻の支えもあり彼も成長していく娘のアリスを見て少しずつ愛情に目覚めていく。

不器用なだけで彼の中にも愛というものはちゃんと存在したのだ。

感情を普段外へ表さないが実は彼の内部では熱いものが渦巻いていて、映画の中で数度、それが勢いよく溶岩のように外へ噴出する場面に私達は思わず圧倒されてしまうはずだ。

 

 

シュヴァルの宮殿造りのきっかけとなった<つまずきの石>

彼は大部分が地中に埋まっていたこれを手で掘り出した。

 

彼の宮殿を創るという夢は一見、つまずいた一片の石がきっかけだったかもしれないが、それはアリスへの溢れんばかりの愛情なくして実際の行動に取り掛かる、実を結ぶという所まで果たして行ったろうか。今まで生きてきて知りえずにいた愛情表現の仕方を初めて自ら捜しあてた彼は、アリスへの愛情を宮殿を創るという行為の全てに表現しようとしたのだ。

また少し別の角度から捉えることも出来そうだ。

つまり、娘のアリスは彼にとっての芸術を司るミューズだったのであり、全ての男性の中に無意識に存在する女性性のようなもの、分析心理学のCGユングはそれを“アニマ”と名付けているが、アリスは父親シュヴァルの無意識に語りかけその創造を促したとも考えられる。全てはアリスが女の子であったからこその夢の理想宮かもしれないとも。

もちろんこれらは私の個人的解釈として聞いて頂ければ有難く、少し前のブログ記事ピカシェットの家でも取り上げている部分と重なるのでまだ読まれていない方は一読をおススメしたい。

さてもう一人の家族である妻への愛のかたちは娘に対するものより大分控えめであるが、それでも最後の方でずっと寡黙だった彼が自ら妻に語りかける場面は印象的だ。残念ながらネタバレになってしまうので詳しくは言えないが…。

「君が僕を見つけてくれたお陰で…」と感謝の言葉を口にする場面は思わず胸が詰まる。宮殿の完成と共に彼と家族の関わりあい方も変化していくようだ。

そして時が流れシュヴァルも年を取り孫達からもお爺ちゃんと慕われる存在になっていく。そういう意味からすれば、これは1人の人間が男としていかに成長していくかという物語の記録でもあるのではないだろうか。

 

ところで宮殿のいろいろな場所には彼の銘文が幾つも刻まれているという。

『夢は現実になる』『目的なき人生は幻想である』などの…。

それにしても彼はタフな男だなと改めて思わずにはいられない。

60歳の定年まで一日30キロメートル以上も歩き29年間も郵便配達夫として勤め上げ、仕事が終わった後に毎日宮殿の制作に励み続けたのだから。

そればかりかかなりの堅実派で自信家の一面も覗かせる。

「パンは作れるし、パンをこねるのとセメントをこねるのと変わらないから」という台詞から彼が元パン職人だった自信が伺えるし、建築の勉強はせずとも「セメントの中に金属の支えを通しているから倒れない」と記者の質問に答える様子から、彼なりにしっかりと考えている様子も見受けられるからだ。

つげ義春という漫画家の作品に“無能の人”というのがあるが、こういう点から考えても彼は決して“無能の人”でない。そればかりか実際は“能ある鷹は爪を隠す”のほうに入るだろう。

 

最後に映画を見終わってしみじみと思った。

たとえ様々な哀しみに包まれていようともC'est la vie!ーこれが人生さー、シュヴァル氏の人生はそれはそれで結構充実していた気がしてくるのだ…。

 

夢と芸術と人生、そして愛について考えたい人にぜひおススメの映画である。

 

 

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