初めに。だまし絵とは何か
まずはこの定義について簡単に触れておきたい。
シュールリアリズム絵画がお好きな方ならご存知の方も多いと思うが、たとえばエッシャー、マグリット、アルチンボルド、日本なら歌川国芳の作品を思い浮かべてみてほしい。
これらの絵に共通するものは何か?と平たく言えば、それは現実には存在しない世界を独自の方法や技法を使って存在するように見せかけるということだろう。
フランス語では<眼を騙す>という意味からTrompe l’oeil トロンプ・ルイユと呼ばれる。
英語ではトリックアートと呼ばれこちらのほうが言葉としては御馴染みかもしれない。
ところで近年、ストリートアートと呼ばれるものが市民権を得る(一部では落書きと呼ばれてもいた)ようになってきた。しかしここで大事なのは、これと今回ご紹介するだまし絵を混同しないようにして頂きたいということである。ストリートアートとは、街をキャンバスとしてスプレー缶やペンキなどで描く美術様式を言う。たとえばベルリンの壁の跡に意図的に描かれたアートなどどちらかといえばメッセージ性の強いものが多いようだ。
それではさっそく、私のいちばんお気に入りを観て頂こう。これらの絵はフレスコ画の技法で描かれている。
こちらはトラブール(前回の記事)のある旧市街の対岸、ソーヌ川沿いにある。
手前のスカーフを被ったカートを引く女性は絵の中の人物である。
この絵のいちばんのポイントは建物の壁の上部に取り付けられたプレートで通りの名前を示すものだが、こちらは正真正銘の本物だ。そして右半分奥には対岸の旧市街の景色が眺められる。
まさにタイトル通りARTが風景になるリヨンの街を描いた格好の1枚であろう。
次にみて頂きたいのはこの1枚。
こちらはFresques des Lyonnais(リヨン人のフレスコ画)というタイトルがつけられている有名な作品である。
何故ならば、この壮大なだまし絵にはリヨンの2000年の歴史にまつわる著名人が30人ほど描かれているからだ。(人物の詳細は、入り口左横の壁にパネルリストして描かれている)
たとえば下の写真は上の写真、2階の(日本では3階部分)右端から2番目の窓の部分をアップにしたもの。ベランダに描かれているのは星の王子様と作者のサン=テグジュペリ。
リヨン生まれの作家である。
星の王子様のすぐ下、1階のバルコニーに並んでいるのは、リュミエール兄弟。リヨン生まれの彼らによって映画というものが発明され、リヨンは映画発祥の地となった。
今度は建物の真中入り口部分をアップ。
真中の本物の女性(本人)の左側にいるのはフランスの有名なカトリック司祭で、右側にいるのはリヨン出身の元サッカー選手だそうだ。
そして上の写真でサッカー選手の右に少し見えているお店、それがこれである。
真中に立っている人物は、リヨン郊外の三ツ星レストランで有名なオーナーシェフのポール・ボキューズ氏である。
さらに先ほどのFresques des Lyonnaisの建物を今度は正面からでなく横から眺めてみると、実は厚みが正面のイメージに比べて予想外に薄いことにたぶん驚かれるだろう。
ちなみに赤いテラス屋根のある反対側の壁の窓は本物。人が住んでいる。
その薄い壁に描かれているのはこのような絵である。
1人1人説明はできないが、それぞれリヨンの歴史にまつわる著名人の誰彼であろう。
ここでもう一度建物の正面を観てみよう。
三ツ星レストランのオーナーが左端にいてその右隣の角の店をみると、いちばん最初に登場した例のスカーフを被った女性の姿が(アップにしたため見えにくいが)
もうおわかりだと思うが、私のお気に入りのこの写真も実はFresques des Lyonnaisという壮大なだまし絵の一部分だったというわけだ。
建物の全景。
所在地 2 Rue de la Martinière, 69001 Lyon
次に御紹介するのはこちらの場所から近くのやはりソーヌ川沿いにある。
都市図書館という名前がついているだまし絵。
まずは2枚の写真を続けて観て頂きたい。
同じ角度で今度は縦長の写真を!
実はこのだまし絵の見所は、私は上層階の窓に描かれた本の部分より1階の書店の入り口付近にあると思う。こうして写真に撮って観て見ると、絵と本物との境界線が非常にわかりにくい
もう一度2枚の写真を比べてみてほしい。間違い捜しの要領で。どれが本物かお分かり頂けたろうか?
(答はもう1枚写真を観て頂いた後で…)
書店の左側はこのようなだまし絵になっている。
こちらも真中の入り口部分はだまし絵なのだが、よくありそうな日常の一コマといった風景が現実に溶けこんでいるのがかえっておもしろいと思う。
(さっきの答。本物は①自転車②中程の御婦人③扉から歩きだそうとしている男性)
所在地 Quai de la PêcherieとRue de la Platièreの角のカフェの前
(実はこのカフェのテラス席に座って撮った。もちろん飲み物を注文して)
また、先程のあのFresques des Lyonnaisのすぐそばにはこんなものもある。
確か全景写真前の信号を渡った一角にあったように記憶しているが、探すのも楽しいので気になる方は見つけて頂きたい。
下の部屋の部分をアップ!
絵筆を手にしている姿をみるとこちらも誰か著名な画家なのだろうか?
<だまし絵についてのメモ>
これらのだまし絵は全て、リヨン在住のアーティスト集団シテ・ドゥ・ラ・クレアションによって描かれている。もともとが壁絵のデザインを手掛け、1978年以来、世界中で500以上ものフレスコ画を描いている。(横浜にもあるそうで調べたが見つからず)
彼らの作品は、メキシコの著名な壁画家であるディエゴ・リベラ氏(婦人は画家のフリーダ・カーロ)へのオマージュであるということだ。
最後に、やはりだまし絵の中でも代表的といわれる作品をもう一つだけ御紹介しよう
カニュのだまし絵と呼ばれているもので、こちらはリヨン1区の高台の地区Croix-Rousse(クロワ・ルッス)にある。
この丘で暮らす人々の様子や家々の様子が描かれているリヨンらしい風景だ。
所在地 4 Boulevard des Canuts, 69004 Lyon メトロC線「Henon駅」下車
(雑感)
騙すより 騙されるのが好きだ。などと言えばあらぬ誤解を受けそうだが、もちろんだまし絵のことについてである。現実ではないとわかっているのにまんまとその世界に引きずり込まれそうになる快感。知らないで遭遇すればその喜びは倍増する。脳が活性化して刺激を受け喜んでいる気がする。
考えてみれば、パサージュ・ジュフロワのグレヴァン蝋人形館に惹かれるのも、人間そっくりの人形を見たい、騙されたいという心理に他ならないではないか。
日本でもトリックアート美術館というものが最近随分増えたようで、私も場所は忘れたが行ったことはある。しかし何というか私の中では今一つという感じだった。技術的に劣っているというのではむろんない。その理由を考えながらこれを書いていて一つはっきりしたことがある。それは屋内に、建物の中に、人工的に造られたものだからかもしれないということ。
だまし絵はまず探す喜びから始まるのだろう。だからたぶん風景と溶け合って存在することに意味があるのかもしれない。少なくとも私自身にとっては。