3月の声を聞き、春は何かと慌しい季節。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私vingt-sannはこのところ5、6日前から、というよりも正確を記すならば2月24日以来あることに集中して、いややはり素直に熱中してといったほうがいいかもしれません。
2月24日と聞けば勘の鋭い方はもしかして…と思う方もいらっしゃるかも。
そう、村上春樹氏の新刊「騎士団長殺し」第1部、第2部が同時発売された日であります。
予約してあったアマゾンからさっそく届き、その日から今回の記事のタイトルどおり、全てを放り出して(外へ出かける仕事以外は)読み耽っているのです。
もちろん食事や洗濯、身の回りなどの最低限のことはやりますが、眠る時間やトイレに行く時間も惜しんでその世界に浸っています。
そのため、ただでさえ頻繁とはいえないブログの更新、そしていつもなら読者の皆様へ出来る限り積極的にと心がけているコメントの時間もほとんど割けず、心苦しく思っています。
それでも仕事場での合間になど、なるべく記事は拝見させていただいていますので悪しからず。
ハルキストという人たちが最近では良くも悪くも話題になっているようですが、私はそんなものの定義(面白半分に取り上げるマスコミもいかがなものか)はどうでもよく、ただ、かなり昔から村上氏の本を読み続けているというのは事実です。
ここで彼の本について語るのは控えますが、正直いって最近はどこかピンと来ない感じのものも多く、今回はどうだろう?と思いながら読み出したというのが本音です。
でも今回は手にとって数ページ読み進むなり、ああ、これはという感触を覚えました。
先ほどやっと1部の<顕れるイデア編>を読み終え、2部の<遷ろうメタファー編>にとりかかったところです。
ですのでここしばらくは読み終えるまでそのような事態が続くと思われますが、どうか少しの間お許しいただければと思います。
最後に私がこの小説に惹かれた要素の一つには、今回は主人公が肖像画家であるという設定があるかもしれません。
肖像を描くとはどういうことなのかー。
表面的にただ似ていればいいというのでは単なる似顔絵になってしまう。肖像画家はその人物の内部までとらえることが必要で、言葉は悪いが隠し持っているものも暴き出す可能性もあると。
郵便配達夫ジョゼフ・ルーラン
(フィンセント・ファン・ゴッホ作)
なぜこの絵が出てくるのか、本を読まれた方はおわかりかもしれませんね。
※3月4日に読了しました。