2021年6月下旬、母の突然の下血により、大腸がんが発覚。
何度も一緒に人間ドッグへ行こうとか、健康診断だけでも、と勧めたものの…父が高血圧で鼻血流出が何日も続き、そのたびに救急車で真夜中に運ばれ、そこから毎週の病院通いを続ける父の医療費もバカにならないのもあってか、「お金がかかるし、自分は健康だから」と断り続けた母。
せめて一般検診とオプションの大腸がん検診だけでも受診していてくれれば。
後日聞き出したところでは、たまに痔なのか?と思われる軽い出血自体はあったそうです。
もう言っても後の祭りなのですが。
実はこの時、年始にKくんから「結婚の挨拶をしたい」と申し出があり、相変わらず私が気難しい父との対面が決心つかずズルズルと引き伸ばしていたのです。何なら、肺気腫疑いもある上に薬漬け(と言ってもほとんどがビタミン剤と胃腸薬疑惑)の父の方が先にくたばっちゃうのかな…なんて思っていたのです。
Kくんのことを知らないのは父のみ。
何か文句言いだしたりして面倒くさそうなのも父のみ。
とはいいつつもう伸ばせないということで、私の誕生日に父に伝えるつもりでいました。
その3日前に、母の癌発覚。
それから急に慌ただしく精密検査の嵐。
母「身体なんともないのに〜、精密検査で余計に疲れてる〜」
なんてことを言っていましたが。
結果はしっかりと大腸がん(直腸)ステージⅡの判定。
しかも、主治医が言うには肛門から2〜3cm程度の位置にあるので手術で取り除いても人工肛門になるでしょう、とのこと。ロボット手術もないし、その機械自体はこの病院にないからあっても人工肛門は逃れられないし、無理に残しても将来的に介護の際に大変だからと。
介護の時?
なお、その時は「治ります」と即座にはっきり言った主治医。
「治るなら人工肛門でも仕方ない・・・でも人工肛門って嫌だからもう治療なしで死のうかな」
とその点は諦めてしまった母。
無理にでももう少し手術件数豊富な病院へ転院させるべきだったのかもしれない。
「遠くの病院だと、お前に迷惑かけるから、一番近いここでいいよ」
母がそう言ったのに甘えてしまった自分が情けない。
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そこから、怒涛の術前抗がん剤(ゼローダのみ)と放射線の3ヶ月。
セカンドオピニオンを無理にでも行かなかったことが悔やまれます。
ゼローダからくる眠気と倦怠感が辛かったようですが、大きな副作用もなく。
※この時しらなかったのですが、相変わらず偏食だらけの父は仕事に行く際の弁当を母に作らせ続けていたようです。外で売っている弁当だと食べられないからと。睡眠時間もそのおかげで5時間前後が続いていた模様。もっとしっかり見張れば良かった…。
放射線が思いの外効きまくり、2ヶ月目にはほとんど癌が見えないレベルまで消失近かったこともあって、放射線の担当医からは「肛門残せるんじゃないのかな、これなら」という話しが出ていたのですが、相変わらず主治医は「無理」の一言。
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11月初旬に入院、手術。
腹腔鏡手術にて6時間予定が9時間かかっての手術。
術後に、直腸は全摘出のため人工肛門になったことを伝えられ、摘出したものを見せてもらった所、全く癌の位置がわからないレベルに…こんなに大きく摘出するのかと愕然としました。
コロナ禍ということもあって、ほとんど入院時に母の顔は見られませんでしたが、必要なものを持っていく時に病院の方が気を利かせてフロア受付のナースステーション入り口まで行かせてくれ、廊下の向こうにいる母の様子を見ることはできました。
驚異的な回復力で、術前含めて10日で退院した母は、退院時はさすがに以前より弱った感じでしたがそれでも自分でしっかり歩いていました。
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1ヶ月、何もなく投薬もなかったので母はみるみる回復。
「抗がん剤飲まなくていいの、助かる!」
ステージ2と言っていたので、術後の抗がん剤は大丈夫だと思うよ。
その私の言葉をきっちり裏切ってくれる、病理結果。
『ステージⅢa』
術後の抗がん剤が必要なステージでした。
あれだけほぼ消えていたのに、そんなに?
しかもリンパに1個転移があったとのこと。
治るって言ってたんじゃなかったの?
母はもう抗がん剤は嫌だと言っていたのですが、2週間悩んで「抗がん剤やってみる、再発しない確率上がるんでしょ」と。
そこから半年の抗がん剤だったのですが、術前のゼローダ服用のみでなく、オキサリプラチンのおかげなのか手足の痺れがきつくなり、特に指の痺れは元々軽度なものがあったのが相乗効果でほぼ日常生活にも支障が出るようになったため、3ヶ月目で母はギブアップ。
その後、ゼローダのみにして1ヶ月追加してそこでさらにギブアップ。
点滴抗がん剤の担当看護師さんの中に、温めるホットパックを適当に処理する方が何人かいたようで、そのたびに軽度の火傷を負っていた母を見て、私もこれ以上この治療は無理だなと思ったのもありました。
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それでもその後の定期検診3回は一切なにもなく。
ただ、以前より痺れのおかげで家事スピードがさらに落ちたとかで、
父の弁当作りも復活依頼があったとかでまた睡眠時間が取れない日々(以前の5時間から4時間程度になった模様)。
私が代わると言っても頑として聞かず。
面倒くさい父の世話をお前にさせるわけにはいかないから、と。
この頃、私は本業に副業にと在宅にも関わらず、ほぼ寝ないくらいの勢いで仕事をしていたのです。合間で掃除や洗濯等はするようにしていましたが、それだと自分が手持ち無沙汰になるし体力も落ちるから、トレーニングのためにも家事をさせろと聞かない母。
なのに、以前のように少食になっていく。
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そして、術後1年経過の精密検査で。
転移が発覚してステージⅣになってしまいました。。。
しかも「切除が難しい箇所に転移している」という説明。
「これはどこですか?」と聞いたけれど何故か適度にはぐらかす主治医。
「たぶん」が多い。
不安になる。
元々、この主治医は面倒くさそうに話したり、座り方もすごく横柄で威圧感のある方で、なかなかこちらから質問しづらい雰囲気を醸し出しています。
外科の医師が少ない病院だから激務なんでしょうけど。
私はそれでも調べてから質問したりするのですが、母はもう萎縮したままで。
詳しい説明は「聞けば話す」と言いながらも、選択肢も提示なく、何をどう聞けばいいのかもわからない母に「治療方針を決める必要があるから答えて欲しい」と詰め寄る主治医。
「もう、治療なしで・・・いいかな」
ボソリとつぶやく母。
ごめんね、という顔を私に向けながら。
心臓がギューッとなった。
呼吸困難になりそうになる私。
何も言えなかった。
何も聞けなかった。
どう答えればいいのかわからなかった。
口を開いた瞬間、泣いてしまうのがわかっていたから、
ぐっと口を閉じていることしかできなかった。
「おかあさん、しなないで」
って叫びたかった。
「もうそろそろこの歳って思ってたし・・・治療なしだと痛い?」
医者は「痛くないです」とは言ったものの・・・。
私の本心は「治療を受けて欲しい」し「もっと生きていてほしい」けれど、それは私のわがままでしかないのだろうか。
今までの経過を見ている限り、抗がん剤が母に合わせて処方されるとは限らない疑惑が渦巻く。
どうしたらいいんだろう。
転院?も検討したほうがいいんだろうか。