やさしい風をその手の中に…

やさしい風をその手の中に…

30代中盤目前に表メタルで矯正治療開始!
無事終わりまして、矯正ネタは終了いたしましたが、
だらだらと日常的な事を書きつづってます。

前略。いろいろありました。
遠恋?なにそれおいしいの?
そんな事もありましたね・・・(トオイメ

以下略(マテ

ということで、あれよあれよと歯列矯正開始してしまった私。
三十路で矯正、インプラント併用?で5年かけて終了。
2014年10月で一旦矯正卒業したので矯正情報の更新は保定のみとなります。

さらに2010年3月から産能短大(通信)、2年次7月には既に卒業確定(笑)
2012年4月からは産能大(通信)に編入、2014年3月卒業完了しました!
歯列矯正、大学在学中に終わらなかった…orz

激務の会社も相変わらずがんばってます!



【矯正に関する記事まとめ】
http://ameblo.jp/vingo/entry-10495894084.html

■次回の通院日:2015.10

【花火大会に関する記事まとめ】
http://ameblo.jp/vingo/theme-10091739426.html

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※副業系や出会い系等、当ブログ記事に関係のない宣伝目的コメント
 は見つけ次第、片っ端から削除させて頂きますのでご了承ください。
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母の検査のあと、再発確定してからずっと、夜に一人になると涙が止まらない状態が続きました。適応障害一歩手前まで行っていたと思います。

とは言え、今でもふっと涙が止まらなくなる状況は変わりありません。

 

主治医の先生はザ・外科、といったかんじで淡々と、データ通りの内容を答えてくれます。

母の余命は、何もしなければ半年です、と。

母は「もうあと半年しか生きられないね、ごめんね」と。

 

あくまでも生存曲線の中央値のことのはずが、

確実に半年後にはあなたは生きていませんという宣告にしか聞こえず。

 

ただ一つだけわかったのは、遺伝子検査では「遺伝系のがんはない」ということだけ。

 

母「お前に遺伝していないから、本当に良かった」

 

私はよくなかったんだよ、本当によくなかったんだよ。

分子標的薬も、おそらく適用外?(※先生は自分で確認するが内容は伝えてくれないのであくまでもニュアンスでの判断)

 

説明を聞き出すこともなかなか難しく、もともと主治医に苦手意識を持っていたことや、かかっている基幹病院のスタッフの対応が悪いこともあり、「もう治療はしたくない、このまま死ぬしかない」と思い詰める母に、本当にそれでいいのかどうかと、動画や本で抗癌剤治療についてどうなのかを見せたり、なかなか入りづらかった『がん相談センター』の扉を叩いて、初めてセカンドオピニオンにつなげてもらったりと色々したこの一月。

 

やっとセカンドオピニオンの日。

 

今までの外科の先生の「ザ・外科医からの有無を言わさない一方的な告知」と180度違う、腫瘍内科の先生の説明を聞いて、やっと母は自分に起こったこと、検査したことでわかる内容とその結果について、今後、治療をした場合・しない場合に起こりうることや、その時々の病院から請けられる対応や、公的なサポートについて…そんなモヤがかかって目の前が真っ暗だったすべてのことが一気に晴れたと言っていました。

 

また、主治医が言っていた「余命期間」は「確かに数値としては間違えていないけれど、あくまでもデータとして集計された、半分の人がなくなるまでの期間を示しているのであって、この場合やお母様の状況を見た限りでは、半年ということは考えられないし、現状、多くの人はもう少し長いはずです。ただし、これも人それぞれなので必ず何ヶ月、何年ということはできないのが実際の回答です」と、きちんとこちらも納得ができる回答を頂きました。

(ネット動画等で話しをしている先生方もほぼこれと同じ回答だったと思います)

 

しかし、治療を頑張ってみたいと言い出したのは言い出したのですが、あの主治医との気が滅入る診察は毎回入ってくるわけで。

セカンドオピニオンはあくまでも「第三者の意見を聞く場」であって転院はできない。百も承知です。

が、ちょっと相談してみたところ、「セカンドオピニオンとしてはこれで終了だけど、きちんと新たに『転院』という手続きを取ってもらって『再発以降の治療を引き継ぐ』ということは可能ですよ」とのことでした。

 

最後になるかもしれないんだよ、お母さん。

我慢しっぱなしの人生だったじゃないですか。

「一緒にそんなきれいな景色見に行く旅行に行きたいわ」なんて言いながら「父や猫の世話をしないといけないから遠慮しておくから、友達と行っておいで」なんてにっこり笑っていた母。一度も連れていけなかったじゃないですか。

 

こんな時くらい自分のわがまま言って、そしてそれを通していいんだよ。

 

もう一度、母に本心を聞きました。

母「やっぱり、治療して頑張ってみたい。でも、今の病院は…あまり行きたくない」

 

転院、考えます。というか、早急にがんばります。

2021年6月下旬、母の突然の下血により、大腸がんが発覚。

何度も一緒に人間ドッグへ行こうとか、健康診断だけでも、と勧めたものの…父が高血圧で鼻血流出が何日も続き、そのたびに救急車で真夜中に運ばれ、そこから毎週の病院通いを続ける父の医療費もバカにならないのもあってか、「お金がかかるし、自分は健康だから」と断り続けた母。

せめて一般検診とオプションの大腸がん検診だけでも受診していてくれれば。

後日聞き出したところでは、たまに痔なのか?と思われる軽い出血自体はあったそうです。

 

もう言っても後の祭りなのですが。

 

実はこの時、年始にKくんから「結婚の挨拶をしたい」と申し出があり、相変わらず私が気難しい父との対面が決心つかずズルズルと引き伸ばしていたのです。何なら、肺気腫疑いもある上に薬漬け(と言ってもほとんどがビタミン剤と胃腸薬疑惑)の父の方が先にくたばっちゃうのかな…なんて思っていたのです。

Kくんのことを知らないのは父のみ。

何か文句言いだしたりして面倒くさそうなのも父のみ。

 

とはいいつつもう伸ばせないということで、私の誕生日に父に伝えるつもりでいました。

 

その3日前に、母の癌発覚。

それから急に慌ただしく精密検査の嵐。

 

母「身体なんともないのに〜、精密検査で余計に疲れてる〜」

 

なんてことを言っていましたが。

 

結果はしっかりと大腸がん(直腸)ステージⅡの判定。

しかも、主治医が言うには肛門から2〜3cm程度の位置にあるので手術で取り除いても人工肛門になるでしょう、とのこと。ロボット手術もないし、その機械自体はこの病院にないからあっても人工肛門は逃れられないし、無理に残しても将来的に介護の際に大変だからと。

介護の時?

 

なお、その時は「治ります」と即座にはっきり言った主治医。

 

「治るなら人工肛門でも仕方ない・・・でも人工肛門って嫌だからもう治療なしで死のうかな」

とその点は諦めてしまった母。

無理にでももう少し手術件数豊富な病院へ転院させるべきだったのかもしれない。

 

「遠くの病院だと、お前に迷惑かけるから、一番近いここでいいよ」

母がそう言ったのに甘えてしまった自分が情けない。

 

ーーーーー

 

そこから、怒涛の術前抗がん剤(ゼローダのみ)と放射線の3ヶ月。

セカンドオピニオンを無理にでも行かなかったことが悔やまれます。

 

ゼローダからくる眠気と倦怠感が辛かったようですが、大きな副作用もなく。

※この時しらなかったのですが、相変わらず偏食だらけの父は仕事に行く際の弁当を母に作らせ続けていたようです。外で売っている弁当だと食べられないからと。睡眠時間もそのおかげで5時間前後が続いていた模様。もっとしっかり見張れば良かった…。

 

放射線が思いの外効きまくり、2ヶ月目にはほとんど癌が見えないレベルまで消失近かったこともあって、放射線の担当医からは「肛門残せるんじゃないのかな、これなら」という話しが出ていたのですが、相変わらず主治医は「無理」の一言。

 

ーーーーーー

 

11月初旬に入院、手術。

腹腔鏡手術にて6時間予定が9時間かかっての手術。

術後に、直腸は全摘出のため人工肛門になったことを伝えられ、摘出したものを見せてもらった所、全く癌の位置がわからないレベルに…こんなに大きく摘出するのかと愕然としました。

 

コロナ禍ということもあって、ほとんど入院時に母の顔は見られませんでしたが、必要なものを持っていく時に病院の方が気を利かせてフロア受付のナースステーション入り口まで行かせてくれ、廊下の向こうにいる母の様子を見ることはできました。

 

驚異的な回復力で、術前含めて10日で退院した母は、退院時はさすがに以前より弱った感じでしたがそれでも自分でしっかり歩いていました。

 

ーーーーーー

 

1ヶ月、何もなく投薬もなかったので母はみるみる回復。

 

「抗がん剤飲まなくていいの、助かる!」

 

ステージ2と言っていたので、術後の抗がん剤は大丈夫だと思うよ。

その私の言葉をきっちり裏切ってくれる、病理結果。

 

『ステージⅢa』

 

術後の抗がん剤が必要なステージでした。

あれだけほぼ消えていたのに、そんなに?

しかもリンパに1個転移があったとのこと。

 

治るって言ってたんじゃなかったの?

 

母はもう抗がん剤は嫌だと言っていたのですが、2週間悩んで「抗がん剤やってみる、再発しない確率上がるんでしょ」と。

 

そこから半年の抗がん剤だったのですが、術前のゼローダ服用のみでなく、オキサリプラチンのおかげなのか手足の痺れがきつくなり、特に指の痺れは元々軽度なものがあったのが相乗効果でほぼ日常生活にも支障が出るようになったため、3ヶ月目で母はギブアップ。

その後、ゼローダのみにして1ヶ月追加してそこでさらにギブアップ。

 

点滴抗がん剤の担当看護師さんの中に、温めるホットパックを適当に処理する方が何人かいたようで、そのたびに軽度の火傷を負っていた母を見て、私もこれ以上この治療は無理だなと思ったのもありました。

 

ーーーーー

 

それでもその後の定期検診3回は一切なにもなく。

ただ、以前より痺れのおかげで家事スピードがさらに落ちたとかで、

父の弁当作りも復活依頼があったとかでまた睡眠時間が取れない日々(以前の5時間から4時間程度になった模様)。

 

私が代わると言っても頑として聞かず。

面倒くさい父の世話をお前にさせるわけにはいかないから、と。

 

この頃、私は本業に副業にと在宅にも関わらず、ほぼ寝ないくらいの勢いで仕事をしていたのです。合間で掃除や洗濯等はするようにしていましたが、それだと自分が手持ち無沙汰になるし体力も落ちるから、トレーニングのためにも家事をさせろと聞かない母。

 

なのに、以前のように少食になっていく。

 

ーーーーー

 

そして、術後1年経過の精密検査で。

 

転移が発覚してステージⅣになってしまいました。。。

 

しかも「切除が難しい箇所に転移している」という説明。

「これはどこですか?」と聞いたけれど何故か適度にはぐらかす主治医。

「たぶん」が多い。

不安になる。

 

元々、この主治医は面倒くさそうに話したり、座り方もすごく横柄で威圧感のある方で、なかなかこちらから質問しづらい雰囲気を醸し出しています。

外科の医師が少ない病院だから激務なんでしょうけど。

私はそれでも調べてから質問したりするのですが、母はもう萎縮したままで。

 

詳しい説明は「聞けば話す」と言いながらも、選択肢も提示なく、何をどう聞けばいいのかもわからない母に「治療方針を決める必要があるから答えて欲しい」と詰め寄る主治医。

 

「もう、治療なしで・・・いいかな」

 

ボソリとつぶやく母。

ごめんね、という顔を私に向けながら。

心臓がギューッとなった。

呼吸困難になりそうになる私。

何も言えなかった。

何も聞けなかった。

どう答えればいいのかわからなかった。

口を開いた瞬間、泣いてしまうのがわかっていたから、

ぐっと口を閉じていることしかできなかった。

 

「おかあさん、しなないで」

って叫びたかった。

 

「もうそろそろこの歳って思ってたし・・・治療なしだと痛い?」

 

医者は「痛くないです」とは言ったものの・・・。

 

私の本心は「治療を受けて欲しい」し「もっと生きていてほしい」けれど、それは私のわがままでしかないのだろうか。

今までの経過を見ている限り、抗がん剤が母に合わせて処方されるとは限らない疑惑が渦巻く。

 

どうしたらいいんだろう。

転院?も検討したほうがいいんだろうか。

またしても相当時間が空いてしまいました。

いかがお過ごしでしょうか。

と言っても、もうこのブログを覗いている人はいないような気もしますが、

自分のための備忘録。

 

この1年はSNSを頑張り(?)まして、

そちらの方で知り合いも沢山できて、

さぁこれからもうちょっと頑張って独立して仕事をやっていけるように

地盤固めしていくぞー!!と少しは前向きになりつつありました。

 

母の術後経過も病院側が驚くほど順調で、

術後検査も何事もなくこのまましばらくは体力回復していき、

まだしばらくはゆっくり過ごしてもらって…。

 

なんて色々思っていた夏終わり。

 

K君が大手企業の実際にはブラックな部分に耐えきれずにとうとう退職。

退職金や退職月支給給与の見込み間違いでお金がなくなり、

慌てて一時的にウーバーなんか始めてバタバタしていて心配毎が増え、

さらに、秋の母の術後一年の精密検査で癌の転移再発が発覚。

どちらかというと母の方がショックでした。

 

もちろん、年齢的には既に後期高齢者に入る直前、

もうとっくに親御さんをなくされている同級生達もいる中で、

母は他人から見ても10歳は若く見えてシャキシャキと動けていたのに、

手術後にはめっきり老け込んで抗がん剤副作用で手のしびれから動きも鈍くなり、

本人も滅入っていたのがわかってはいました。

そこに来ての「再発」。

そして、年齢的にも部位的にも切除は難しいとのことで、

再度抗がん剤治療をするか、それとも経過観察のみで緩和治療でいくかの

二択を迫られているところというのが現状で。

 

母は「もうこの年齢だからもう治療なしでいいよ」とは言うものの、

まだ可能性がないわけではないと医者からは言われ…。

ただ、どのくらい大丈夫かなんていうのは個人個人で違うからなのか、

一切何も教えてくれずで「治療方針決めたいからどっちにする?」と、

即決を迫られてしまっても困るというのが…。

 

再発告知を受けてから、毎晩のように涙が止まりません。

1人になるとどうしても悪い方にしか考えが巡らず。

 

あの時こうしておけば、あの時ああしておけば。

母の癌がもっと初期で見つけられていたチャンスが2回もあったのに、

私の人間ドッグの時にお金出すから一緒に行こうと誘っても、

私に悪いからと断固として断られ…その後も父の体調不良の方に注力して、

自分の健康診断は何も症状がないからと一切しなかった母。

無料のがん検診だけでも受けてもらっていればと。

 

そして、もっと昔。

モラハラ気味だった父とは、私がいつか結婚したら離婚したい、と

相談された時に「今すぐ離婚していいよ」の一言が即座に出せなかった自分。

あの時にその一言をすぐに言っていれば、母はストレスだらけの20年近くを

過ごさなくても済んでいたじゃないかとか。

そうしたら、母は病気になってなかったかも知れないし、

今頃私が母を引き取って二人暮らしできていたかも知れないし、

二人で泊りがけの旅行にも行けていたかも知れない。

 

父の仕事の都合と、父の偏屈のせいで、

母と一度も泊りがけでの旅行に行ったことがありませんでした。

もうこの状況になっては、それも夢のままで終わってしまう可能性が高いです。

 

結婚する姿も、孫の姿も見せてあげることができなかった。

「孫を見れないのかなぁ」と、15年前に呟いていた母。

本当に申し訳ない気持ちしか残っていなくて、

自分がこんな親不孝な娘で申し訳なくて。

自分が悔しくて、そして、そんな母がこの先平均寿命より早く

いなくなる可能性が高いと知って。

 

親戚筋が誰もいない(わからない)自分にとっては、

唯一の頼りになる人がいなくなると、

多分心の拠り所が何もなくなるんだという恐怖が、

薄々、昔から思っていたことがすぐそこに来たという恐怖が。

 

どちらの心もまぜこぜになって、

ずっと心が重いです。

 

まだ母は元気に暮らしているのに。

一人になると止まらない涙。

本当に辛い。