きっと君も幸せになれる

神様はね、みんな幸せになる為に
この世に生を与えてくれました

けれど…何もかもがうまくいかない
そう悩む時もあるかもしれない

幸せだと思える感覚はそれぞれ違う
でも【幸せになる】気持ちは相違ない

※上の画像は幸せになる待ち受けです
おまじない…心から、君の幸せを願います


☆………魔女の宅急便でした………☆
see you:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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台湾の2日




天気は晴れ時々雨…はらはらと雨降る昼過ぎから、宿泊先のホテルよりタクシーで蒋介石の歴史ある博物館へと向かった。

 



蒋 介石(しょう かいせき、蔣介石、1887年10月31日 - 1975年4月5日)は中華民国の政治家、軍人。第3 代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統。国民革 命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大 元帥に相当)。孫文の後継者として北伐を完遂し、中 華民国の統一を果たして同国の最高指導者とな る。1928年から1931年と、1943年から1975年に死去 するまで国家元首の地位にあった。しかし、国共内 戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台 湾に移り、大陸支配を回復することなく没した。

名は中正で、介石は字[1]。譜名(族譜上の名)は周 泰、原名(幼名)は瑞元。学校では志清とも呼ばれ た[2]。日本では蒋介石の呼び名で知られているが、台 湾一帯では蒋中正(チアン・チョンチェン、蔣中正) の名称が一般的。欧米のメディアからは大元帥を意味 するGeneralissimoとも呼ばれていた。英語表記で はChiang Kai-shek(チアン・カイシェック)。
 


 


 



 



蒋介石歴史博物館を後にして、故宮博物館へと電車で移動した。中正記念堂駅から淡水線士林駅まで、台湾$20(1$/日本円の2.7倍)士林駅からはタクシーで故宮博物館へ向かう。この故宮博物館に展示されている白菜水晶と、豚の角煮…を見るのが目的。しかし…これらは意外に小さかった。
 

 



並んで見た割には小さくて…ガッカリしたが、まぁ、台湾っと言う国に行かなければ見れないものなので、見れただけで良しと考えざるを得ないだろう。




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台湾の街並みは近代的なビルと、老朽化したビルとが交互に並んでいた。マンションだと思うがビルの造りは違っている気がする。このビルは綺麗な方だと思えてカメラドンッ
 


車道も日本とは違う光景である。日本ではこれほどのバイク族は見られないだろう。まるで日本の暴走族が走り去るように見えたし、50CCのバイクは2人乗りが当たり前にいる(2人乗りは違法ではない…との事)まして、3人乗り…もいたりする。
 



前に子供を乗せて走り去るのだ。若しくは赤ちゃんを抱いた女性が、後部座席に座って走り去る。写真を見ればわかるだろうが、交通は右側通行で車道の走り方も不思議な路線だったりする。台湾の道路を走るのは難しそうである。

 


これ、台湾ですよ。一見して日本にも見えてしまう台湾の路地裏です。

 


これ、なんだと思いますか?

地下鉄の(日本で言えば)切符です。乗る時に改札口でコインをタッチして、降りる時には改札口にこの硬貨を入れます。

電車のホームは日本と変わらない。
 



でも…此処も、電車のホームです。



2日目は彼とホテルの周辺を散策してました。路地裏や、表通りを6時間以上も歩いた。やたらに人が多い台北の中心街に面した「リージェント台北」と言うホテルに宿泊した。ひとたび室内に入れば日本に滞在している感覚にもなる。
 



一歩、外に出れば…

 


やはり台北なんだよね。

台湾…っと言う街は、近代的な建物「101」っと言うビルや、三越、吉野家、スタバ、マックもあるけれど、このラーメン店も進出していたのかと…思わずカメラドンッ実は息子がこのラーメン店のスープ工場で2年間、修行していた。
 



ちょっと見れば、日本にも見えてしまうのが不思議だ。しかし、私は台湾には住めないな。なにせ、街全体に…例の臭い匂いが染み付いている感じがしたからだ。

海外から来た人は日本は「醤油臭い」と言い、韓国は「キムチ臭い」とも言われるが…住んでいる人達は、到底、そんな風には思わないものである。

住めば都…っと言う事だろうが、何故か台北市内のあの屋台で嗅いだ匂いが忘れられない。しかし住んでしまえば、鼻につく匂いにも慣れてしまうのかもしれない。

実際、日本に住んでいて「醤油臭い」とは思わないのが、その証拠だろうと思う。


淡水地区にある「イギリス領事館」である。

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