美味しいものを沢山食べる
そうすると、心も温かくなりそうだ
心が満足すれば
きっと何時もハッピーでいられる
そんな予感がする
寂しい時も、悲しい時も
楽しい時も、嬉しい時も
どんな時でも・・・美味し物があれば
それがハッピーになりそうだ
そんな予感がする
「世の中、お金がなければ
何にも出来やしない
病院だってお金がなければ
診てさえくれないだろう?」
昔、息子がそんな事を言った
けれどそれは強ち間違いではない事だと
まだ18にも満たない息子に教えられた気がする
だから懸命に働いた
息子に不憫な思いだけはさせないようにと
でも今は誰の為じゃない
自分の生活の為に働いてるんだけど
生きるためには
あの頃息子が言っていた
お金が必要だからだ
今はそれだけの為に働いてる
独身の私には自分しか頼れない
にも拘らず「この仕事は自分に合わない」
なんて贅沢な事を言って
今は、早く辞めてしまいたいと
そう思っていたりする
働かせてくれる所があって
仕事があるだけでも有難いのに
何を文句ばかり、愚痴ばかり
毎回、ブログで言っているのだろうか
自分でさえ、呆れてしまう程だ
飲み友達が言っていた
「遊ぶために働いている」と・・・
それも一理あるのだろうけれども
私は「遊ぶため」だけには
働くことは出来ないと思えた
確かに、遊ぶためにはお金は必要だ
でも、それは「遊ぶ」と言う目的の為で
働いてお金をもらう事は
目的を果たす為の一つの手段なのだ
勿論、感情はそう感じてるのだろう
「世の中、銭だろう?」
「金がなきゃ、何にも出来ないだろう?」
「病院だって、偽善者じゃないんだから・・・」
「お金の話ばかりして何が悪い」
「世の中、銭だろう?病院だって・・・」
息子のあの時の言葉が
頭の中を駆け巡る時がある
繰り返し、繰り返し、ずっと頭の中に響く
確かにお金は必要だけれど
お金では買えないものがあるよ
「愛だよ」っと、息子に言った事があった
「いや、愛だって金で買える」
あ~っ、あの頃の息子の言葉は
とても強烈に思えたんだけれど
実際には「金目当て」と言う
言葉があるくらいだから
お金を出せば「愛」も買えるのだろうか?
いや、違う、違う、違う
本当に、ふっとした瞬間に
そんな事さえ錯覚してしまうくらい
強烈で、印象的な言動をした
18にもならない息子の言葉だったが
ぐれて警察沙汰になる様な事とか
手に余るほど面倒なことを起こしたとか
そんな事も一切なくて、今は
ただ、口の悪い職人にとなった
車も、家も、犬を2匹も手に入れて
何だか優雅、とは言わないまでも
まともに生活できるくらいに
育ったものだと感心するくらいだ
<親が無くても子は育つ>
でも親は「木」の上に「立って」
「見る」と書くんだよ
私はあと何年生きられるのだろうか?
何年、息子を見ていられるのだろうか?











