フランス, アルザスワイン365日記 -115ページ目

フランス, アルザスワイン365日記

フランス、アルザス在住言語学博士
★アルザス生活の中の日々の徒然
★アルザスワイン、ワイナリーに関する記事を執筆中

フランス、アルザスより。

 

お店は開いているが、今でも外出規制などがあり、毎回外出許可書を書いて外出しなければいけない。

けれど、以前に比べたらアプリがあって、ほんの数秒で外出許可書を制作することができる。

 


アプリ



この中でこの箇所を選択し



一度個人情報を入れておけば、毎回入れる事もない。


そして、その後外出理由をクリックして



外出理由を選択する

この作業数秒で完結




かなり便利になった。

 

そんな中、先日仕事で外出し、その後に郵便局に手紙を出しに行った時のことだった。

 

もちろん、入場制限があり、簡単に郵便局には入れなくなっている。

なので、郵便局の前には列があり、その列も用途によって変わる。

 

郵便用

口座関係…それは日本と同じだと思う。

 

私は切手を貼って書類を送るだけだったので、とりあえず郵便物と書かれている方に並んでいた。

 

暫く並んでいると、横の列に並んでいたフランス人の夫人が

 

「並ぶ列を間違えた。」

 

と言いながら私の前に入ってきた。

 

「すみません、横入りしないでもらえますか?」

 

というと、

 

「列間違えたんだから、そして私はあなたよりも先に来ていたんだから」

 

という。でも列を間違えたのは彼女であって、だからと言って、自己解釈でこうして列に横入りして良いわけではない。

 

私はこういうのが本当に嫌いだ。

そして、スルーできない。

 

「それはあなたが間違えたわけで、私は私が並ばないといけない列で並んでいる。それは横入りする理由ではない。」

 

と、言ったが

 

「うるさいわね、静かにして。」

と言われ、そのままそこから彼女は動かなかった・・・。

 

私は昔からフランスとか海外とか、日本とか関係なく、一応ちゃんとこういう時に言ってしまう。

結構やり合う時はやり合う。

 

横入りするにしてもそれなら並んでいる人に聞くべきだろうとも思ってしまう。

 

「間違えて並んでいたから、こっちに並びたい。」

 

とは言え、それだって理不尽だ。

 

間違えて並んだから、こっちに並び直す。だから自分よりも後に来ていたであろう人よりも前に入る。

 

それって、合っているのか?間違っているのか?

 

そして・・・私が思ったのは、ここで

 

「フランスは・・・」
 

「フランス人の年配の女性は・・・」

 

という書き方、もしくはフランスの人は・・・というカテゴリー化してしまっていいのだろうか、と言う事だ。


同じような人は恐らくどこにでもいる。日本にだっているだろう。

 

そして、フランスだって、こんなことされたのは私も初めてのことだった。

そこで思ったのが、よく見かける記事やブログでも

「フランスは」

「フランス人は・・・。」

 

もしくは

 

「日本は・・・」

「日本人は・・・」

 

なんて書くことがあるが、それは本当にその国だから、なのだろうか。

もしくはそうしてカテゴリー化することによって、自分に納得させている部分はないだろうか。

 

なんて思ってしまったのだ。

 

自分とは違う誰かや何かを、何かしらカテゴリー化して、自分を納得させたり、自分とはだから考え方が違うんだ、なんて片づけてしまう事もあるのかもしれない。

 

でも、それはもっと個人レベルでの違いであって、ある程度の気質とか、性格、もちろん文化や生活様式なども関係するところもあるが、一概に国や国籍でカテゴリー化できないとも思う。

 

フランスの日本語学習者は日本が好き、日本語が好きだからか、フランス人でもなんだか日本人らしく、結構シャイで、恥ずかしがり屋で、全然発言などもしてくれなかったりもする。


日本語が好き、日本文化が好きであると、性格も日本人的な部分があるのかもしれない。

 

そして、フランス、得にパリにいる日本の方、

「フランスが合っている」

という方などはよく聞くフランス人の特徴的な性格(自己主張する、女性が強い・・・等々)の方もいる気がする。

 

だから、一概に

 

「フランスは」

 

「フランス人は・・」

 

みたいなことも言えないし、フランスにいて、フランス人と何かあっても、それがフランスだから、フランス人は・・・という風に言えないな、と改めて再認識した、出来事だった。


自分が納得いかないことを自分と違うから=外国人だから、自分とは文化が違うから…ではなく、もしかしたら個人個人としてそこに大きな(小さな)違いがあるのかもしれない。