農薬や食品添加物の危険性を論じる御仁はしばしば、農薬が持つ毒性の性質だけを抜き取って批判します。それは様々な意味で間違いです。危険性について毒性は確かに重要ではありますが、それだけではとうてい決まらずほかにも様々な要素があるからです。


 例えば、単純に「農薬には人を殺せる成分が含まれる」としてみても、農薬を開発しているほうは農薬にわざわざ人を殺す性能を付加しているわけではなく、別の目的で入れた成分が人を殺しうる性能を持っているというだけです。
 そんなもん同じことじゃねえかと言われるかもしれませんが、これに対する反論として、摂取量への配慮があります。毒性は摂取量に強く依存し、病気や害虫は抑えるが人間には悪影響を及ぼさない量ってのはありますから、農薬本体はその仕組みを利用して調整されていますし、残留農薬基準などはもっとあからさまに、毒性と摂取量の関係を利用して安全性を確保しています。


 以前、「愛のエプロン」という芸能人が料理をつくる番組にて、素材は一級品のものばかり揃っているにも関わらず、料理下手なアイドル達は一口食べただけで吐き出すようなものを作っていました。元の素材に催吐性はなくとも、調味料の加減を滅茶苦茶に間違えた料理には結果としてやばい性質ができたわけです。毒を薄めれば薬、というのは必ずしも正しくはありませんが、薬を濃くすれば必ず毒になります。


 余談ですが、ゴキブリなどに合成洗剤を原液でかければ死ぬ、というマルチ商法のディストリビュータがよく使うお話があります。マルチの人たちは、だから合成洗剤は危ないからアムウェイやニューウエイズを使えなんていうわけですが(どうでもいいけどまだアムウェイとかあるんですかね)、実際ゴキブリがなぜこれで死ぬのかというと、粘性の高い液体にからめとられて気門が塞がり窒息死するからで、洗剤を飲んで死んでいるわけではありません。もっと言えば、普通の水の中におもりをつけた人をたたっこめばその人は死にますが、水をいくら調べてもその中に「人を窒息死させる毒物」などを見つけることはできないでしょう。
 生き物が死ぬ、その死因には色々なものがあり、農薬の殺虫剤ですら虫に飲ませたり食わせたりして殺しているわけではありません。そういう食べさせて殺すものを食毒といいますが、実は殺虫剤の中でこの食毒はむしろ少数派です。殺虫剤の中には脱皮をさせなくしたり、フェロモンを出させなくして繁殖させないなんていったものまであります。


 さて危険性についてのお話の中で、摂取量を云々するのはかなりよくある話で、このブログでもさんざんやってきたのですがほかにも危険性にまつわる要素はあります。大きいものでは摂取のしやすさです。


 たしか松永和紀さんの本に書かれていた例え話ですが、例えば青酸カリのような強い毒物が金庫の中に、鍵をしっかり閉めて厳重に保管してあり、その同じ部屋の机の上に高級ブランデーが一本無造作に置いてあったとして、危険性が高いのは青酸カリでしょうかブランデーでしょうか?
 毒性だけを言えば危ないのはもちろん青酸カリですが、この場合危険性が高いのはブランデーのほうです。子供はもちろんのことですが大人だって、一気飲みすれば死すらあります。


 さらに加えて、ある2つの物質について毒性も濃度も量も同じなのに危険性がまるで違う、というようなことはあります。同じく摂取のしやすさに関してですが、人がコップ一杯飲んだら死ぬような物質があったとして、片方は無色透明で爽やかな香りがして甘い味がする、もう片方は毒々しい色で気持ち悪い臭いがして、少しでも口に入れると吐き気を催すというものがあるときにその危険性はどちらが上でしょうか。二つの物質の毒性は全く変わらずとも、しかし無色透明なほうが明らかに危険性は上です。


 いくら安全性に気を配ってみても、アクシデント的な誤飲や誤用、自殺目的の利用を完全に防ぐことはできません。しかしそれらを少なくすることは可能で、間違っても飲みたくないような毒々しい色をつけることによって、人を殺すような毒性はそのままであっても安全性を高めることは可能です。そういう意味では、極めて摂取しやすいタバコなどはその毒性以上に危険な物質であるのは間違いありません。


 金庫に入った青酸カリはわざわざ金庫を破らない限り人に影響を及ぼすことはありません。しかし「猛毒なんだから、金庫の壁をすり抜けて周りに影響を与える可能性だって否定できない」といってしまうのが不勉強な農薬批判です。