生産者は消費者の求めるものを知らなければならないとか、逆に消費者は生産者側の都合も知った方がいいとか言うことはよくありますが、つまりそれらの前提として生産者と消費者の間には超えられない壁があるように見えるのはなぜなんでしょうか。
 もっとも簡単な説明は、実際に壁があるからだとするのが早いのですが、少なくとも、話の前提に出来るほど昔からあったものとは思えません。


 東京などの大都市ならば話は別なのかもしれませんが、私らがいるような地方都市住まいならば、両親の、あるいは祖父母の親戚をたどれば一軒くらい農家をやってるという家がみつかります。必ずとは言いませんが、今でもけっこう多いです。
 米や野菜などの大商圏といえばやはり東京なのですが、その理由は単純な消費人口の多さは当然として、地方都市の場合は米なんて親戚から貰ってるから買わない、と言う人が未だに多いと言う事情もあります。
 話が逸れましたが、つまり身内に農家がいるというのに、その間に越えられない壁があると思うのは不自然です。そして、今では無く例えば30年前のことなど考えてみれば、身内に農家がいた割合はもっと多く、生産者と消費者はそれなりに自然に溶け合っていたと考える方が自然でしょう。


 とはいえ今現在の、しかも(マスコミ各社が本拠を置く)東京において、生産者とまるで関係を持たない消費者が多く存在するのは事実でしょう。ただそうであったとしても、生産者と消費者をまるで違う存在のように区別し、その上でお互い理解するにはどうすればいいのかという行為は、例えば関東人と関西人をパーティションで区切った上で双方の共通点を探しているようなもので、結局はその違いがもっと浮き彫りになるだけなのではないでしょうか。そもそも区別しないほうが合理的なのでは。


 ・・・とか言ってもそんなのは所詮は言葉遊びの部類であって、実際に区別しないとか、区別されていなかった過去に回帰するなんて無茶な話です。ただし問題の扱い方は変えられるかもしれません。


 で、そんなことを考えていて思ったのが、なんで親族から農家が消えたのだろうか、です。まあそもそも農業人口が減ったからと言うのが大いにある話ですが、それに加えられるのは、核家族化の進行です。
 最近、新婚はとりあえず親元から離れてアパートなり何なりに独立するのが常識で、どちらかの両親と同居するのは珍しいそうです。すると親戚までへの繋がりに一つの溝ができます。なんか書いてみてから、こじつけくさく感じる話ですが。それよりも核家族化が食品業界に与える影響とは、一度あたりで食材を口にする量が減るので、例えば1個のキャベツや白菜・5キロの米などの大型品が売れないとか、家事をするゆとりが家庭に無いので手間のかかる炊飯、出汁とりなどをせず加工品に走りやすいとかを挙げた方がいいでしょう。


 先日あるところから依頼を受けて、再来月あたりにちょっと喋る機会ができたようなので(全国版で関係あるような話じゃないです)、最近、農業業界と外部との関係について少し考え始めています。なので、変な話をまとまらないままに垂れ流してみます(笑


koume