できれば言語明瞭意味鮮明な文章を書きたいと思うことは誰しも当然なことだと思いますが、残念ながら「言語明瞭意味不明」といわれる表現があります。まあ、言語不明瞭意味不明よりはマシなのかもしれませんが。
で、その言語明瞭意味不明って言葉を聞くことは稀にありますが、ではその正反対の、言語不明瞭意味鮮明と言う表現はあるでしょうか。それそのものはちょっと聞いたことがないです。
ただ、そう言われるべき表現はしょっちゅうあると思います。どういうのかというと、よく「玉虫色」と呼ばれるような表現です。わざとぼかして言うが、行間と言うか空気を使って意味だけは伝えるような。
論理の飛躍を伴うものがよくあります。これについては、一般的にはあまり言語不明瞭とは思われていません。が、思われてはいないがゆえに問題の根は深いです。
例えば「マイナスイオンはリラックス効果がある」です。疑問を呈すのが面倒になるほど知れ渡った「誤解」ですが、なぜマイナスイオンにリラックス効果があるのかなどとは誰も考えずに、妙な言葉にいきなり結果が引っ付いています。「リラックス効果があるから、効果があるんだ」みたいな感じです。
もちろんこちらの場合は、意味鮮明とは言いつつもその意味が正しいかどうかは別のことです。そもそも言語不明瞭と言うより、科学不明瞭と言うべきかもしれません。
要は、誤解や思い込みを援用して、「な、わかるだろ?」てな感じで空気を押し付けるような表現法ですが、科学的誠実さなど最初から放棄している態度のために、逆に科学的な批判が難しくなっています。根拠が論理にあるわけではなく、「これがわからないなんて、KYだなあ」みたいに恥や感情に訴えた所にあるからです。最近では、大野事件のご遺族を「被害者」に仕立てて、医師や病院を暗黙のうちに「加害者」に思わせる仕掛けにも現れています。本当の加害者?は疾患であると言う点を誤魔化して。
さていつも読ませて頂いているFoodScienceですが、松永和紀さんのコラムに、東京都が施行した、冷凍食品の原産地表示義務付け制度の話が載っています(http://biotech.nikkeibp.co.jp/fsn/kiji.jsp?kiji=2358
)。このコラムは充分にわかりやすく面白い内容なのでぜひ読んでいただきたいと思いますが(有料ですが)、ここで東京都が行っているのは、原材料の原産地を表示すれば食品の安全性が向上するであろう、と言う不明瞭な理屈です。
この制度、松永さんも批判していますし、他の方も批判していますし、私も馬鹿馬鹿しい制度だと思いますが、それは膨大なコストがかかるからと言う理由ではなく、コストがかかる割には実質的な意味が一切ないからです。
例えば中国産の野菜がすべからく危険で低品質で、国内産の野菜がすべからく安全で高品質であると言う現実でもあればまだしもですが、残念ながらそんなことはありません。いや、あると思われてはいるでしょうし、あると思われているから(あると思っているから、ではない・・・おそらく。)こそ東京とはこんなことをしているのでしょうが、それはあくまでも間違いと言うか、晴らさねばならない誤解なのであって、その誤解を前提にした政策を打つことは極めて近視眼的にはメリットはあるでしょうが将来的には誤解が根強くなっていくだけです。まさにこれこそ、臭いものにフタ。
原産地表示には、「安心効果」はあります。ただしあくまで、与えられた安心です。安心なんてほんとは自分でするものであって、他人から与えられるものではないはずですが、何故か今の世の中は安心ですら他人から与えられてしかるべきと思われている風潮があります。
当然そんな安心は、自分自身で安心したわけではないので、制度のほうで何か手違いがあれば瞬時に揺らぐような安心です。だからみんなはいつも不安です。
その上、当然、安心と安全は全く別物です。
松永さんのたとえ話が面白いので引用します。
『 本サイトで、多くの執筆者が指摘している。中国製には犯罪が原因のリスクの高い食品もあったとみられるが、日本のメーカーや商社が日本の農薬取締法や食品衛生法を守らせて中国で作ってもらっている極めて品質の高い食品も多いのだ。「中国産」とひとくくりに語るのはナンセンス。和歌山ヒ素カレー事件の後に「和歌山産は危ない」と考えるのと同じレベルだ。』
言語明瞭・意味鮮明な表現は難しいものですが、志としては、それを目指すべきなのではないですか。原産地表示さえしておけば、消費者は勝手に安全だと勘違いしてもらえるだろう、てな態度はせこいし、消費者を馬鹿にしています。しかもコストも他人に押し付けている。
まあ、世の中には言語不明瞭意味不明なことばっかり言ってる弁護士もいるわけですが・・・とここではぼかしていますが、これを明瞭な言葉で言ってしまうと、気持ちいいだろうけど、やっぱり許されないだろうなぁ(笑
koume