慣行農法(農薬や化学肥料を普通に使用して行う農業の方法のこと)を批判して、有機農法を薦めるような本や特に漫画には、必ず、普通の農家が「しかし農薬を使わないで農業をするのはすごく大変なんじゃ」と言い訳をする場面があります(たとえば「夏子の酒」や「美味しんぼ」にもそういう話がある)。
実際に農薬を使わないことは大変ではあるのですが、その大変さ具合がまったく伝わっていないがために、件の漫画などではそんな言い訳など聞く耳もたれることはなく、単に「努力不足だ」で済まされます。「実際に、有機農業に取り組んでいる農家もいるじゃないか」てなもんです。
というわけで、説明するためのたとえ話を考えてみました。
1件の会社があります。その会社には、毎朝社員たちが出社し、就業後には退社します。社員の自宅と会社の往復は、休業日以外は毎日行われます。
ところで自動車が走ることは、まんま環境汚染であるとの見方があります。燃料としてガソリンや軽油を使うし、排気ガスに含まれる汚染物質もあります。そこで、ある会社は就業規則で自動車通勤を一切禁止し、徒歩や公共交通機関での出社を義務付けるとしたらどうでしょうか。
その会社がたとえば東京のど真ん中にあり、公共交通機関を充分活用できる場所にあるなら、ありかもしれませんが、地方都市にあるような会社では全社員がきっちり出社することはほとんど絶望的となります。会社の近くに住んでいる社員は出社できても、遠隔地にいる社員は引っ越してくるか、あるいはものすごい時間をかけて無理やり頑張って出社することになるでしょう。
私は以前は会社勤めをしていましたが、その事を当てはめると、私の自宅から会社までは30キロほどあり、朝は車で45分、帰りは30~40分かかっていました。車が禁止されたとしたらこれは大変な話で、徒歩では6時間くらいかかるし自転車だと2時間(もちろん晴れた日限定)。もちろん出社直後や帰宅直後は疲労してて作業にならないし、夏場は汗で衣服がひどいことに、冬場はそもそも移動不可能になりそうです。うちは山奥のほうなのでバスや電車にもかなりの制限があり、しかもこれらだって天候の変化には結構弱いですから、しょっちゅう遅刻しそうです。最終バスの時間も早いので、いくら仕事があっても6時半にはあがらないといけなそうです。
余談が長くなりましたが、自動車通勤は慣行農法に、徒歩や公共交通機関を使うことは有機農法に対応できます。一部の、恵まれた条件が整っている農家は有機農法を行うことができます。会社の近くに住んでいる人が徒歩でも通勤できるのと同じことです。そこに、通勤してない漫画家や評論家が会社のオフィスだけを見て、徒歩で出勤している者もいるのだから30キロの遠方からでも徒歩で来いと言うのは無茶というものです。それは努力が足りないのではありません。農家の大部分は、いわば遠方に住んでいるのです。
またここに胡散臭い業者がいたりして、「これを車の燃料室に入れれば燃費を20%アップできますよ」という資材を売りに来たりするわけです。これは農業で言えば、妙な農薬もどきや土壌改良剤もどきなどに当たります。こうして、変にだまされた減農薬農法や有機農法がはやったりもするわけです。
車の話をすれば、現代の日本は車の存在を前提として作られています。郵便局から出せる手紙の価格や運送業者が運ぶ荷物の運賃なんかはモロですが、そのほかほとんどすべての品物の価格は、車で運べることを前提とした輸送コストを織り込んでつけられています。
そもそも、道路そのものが自動車の存在を前提として作られています。道幅やカーブの形状もそうですし、アスファルトは徒歩向きの路面ではありません。土の路面のほうが歩きには優しいのですが、自動車には向いていません。
大昔は馬を使っていたころもあったわけですが、現代では馬にアスファルトの上を走らせるだけで故障するでしょうし、蹄鉄をつけられる人ももう牧場にしかおらず、途中で休ませて水や飼い葉を与えられる場所もありません。
それと同じ話で、現代の農業はすでに農薬の存在を前提として成立しているのです。農業機械のサイズや田んぼの形状、栽培作物の持つ性質まで、農薬が使えるからこそわざと害虫に弱くして、その分食品としての安全性や味を良くできている部分があるわけです。
そのことを無視して昔の農業に戻そうとしても、作物そのものが昔とは違っているし、農耕に使っていた牛や馬ももういません。いても維持できません。肥溜めももうすべて埋まっています。
・・・みたいなことをうじゃうじゃ考えているのですが、どこの現場でもそうですけど、現場のことを他者にちゃんと知らせることは本当に難しい。
koume