先日書いたことと内容的には相当かぶるのですが、つい昨日、とても悲しいものを見たので。
たとえ話をします。
ある機械があります。これはかなり危険な要素を含む機械で、100年以上前に発明されてから現在まで無数の改良を施されてきたにもかかわらず、現代でも年間で数万、数十万の桁で死者を出しています。死者を出す以外の損害も全て計上すると、年間で数億ドル以上の被害が出ていると考えられます。
それにもかかわらず、例えばある国家では軍事目的からこの機械の研究・開発に毎年莫大な資金を投入していますし、また政治家たちの利権を守るためにこれらの普及活動や保護なども行われています。
そして、恐ろしいことに、普通の一般市民でも、バイヤーを通して高額なお金と引き換えにする条件でこの機械を手に入れることは十分可能なのです。そして、この機械を使った犯罪などは毎日のように行われています。
世界各国の軍隊やテロ組織、危険思想を持つ団体などにもこの機械は相当数普及し、我々は日常生活で、この機械の危険に怯えない日はありません。
もちろん、これだけの危険をはらむこの機械に関して、全世界規模でその取り扱いに規制がかけられています。しかし、規制がかけられているにもかかわらずこれだけの被害が出ているのです。
果たしてこの機械は、研究・開発や製造、使用などに関して全世界規模で禁止されるべきでしょうか?
・・・と、これは私のオリジナルではないんですが、オリジナルは「DHMOの恐怖」 として結構有名な話です。DHMOはジハイドロジェン・モノオキシド、日本語に直すと「一酸化二水素」で、こちらの被害も凄まじいものがあります。つい先日も日本全国に大変な被害を生みました。
知ってる人はもうお分かりでしょうが、上の「ある機械」とは自動車、DHMOは水のことです。
リスクというものを考えるとき、どうしても囚われがちな考えがあります。それは、リスクを「ある・なし」で考える、つまり定性的な考え方です。しかし、リスクを考える場合はこの考え方は実は完全な間違いです。
「ハイリスク・ハイリターン」という言葉もありますが、一般にリスクとはリターンとの兼ね合いで考えられるもので、同時にリスクはその量を見て判断されるものだからです。
昨日見た、悲しいものとはこれです。
http://blog.sitesakamoto.com/index.php?itemid=151
私にとって坂本龍一という人物は、世界で最も尊敬する絶対者に等しい存在なのですが、これはちょっといただけません。坂本龍一の発言や文章は結構読んでいて、影響を受けたものも少なくなかったのです。が、あの教授ほどの人物でも、このような間違いを犯すのかと思うと・・・
この記事に、福岡伸一という人が寄稿文を寄せています。
> 実は、この問題を審議してきた食品安全委員会の結論は
> 「日米リスクの同等性の科学的評価は困難である」だった。
> リスク差が見極めきれないのであれば、ロジックとしては
> 輸入再開とはならないのが科学的な態度であるはずだ。
(改行位置は変更しました)
これは、マスコミなどにはよくある考えですが、まったく科学的な態度ではありません。要するに、「リスクがあるなら、それを行ってはならない」という考えですがこれは科学者の態度ではないと思います。リスクは「ある」のが普通で、その量をこそ見るべきものだからです。米国産牛肉に狂牛病のリスクはあります。しかしその量はいかほどなのでしょうか?
食品安全委員会の結論は「日米リスクの同等性の科学的評価は困難である」だった。これは正しい。しかし、この部分だけを抜き出して批判するのはこれまた科学的な態度とは言えないでしょう。「20ヶ月超えの感染牛が紛れ込む可能性は、『高く見積もっても20年に1回以下』」という部分を意図的に無視するのはいかがなものかと。
リスクがゼロというもの地球上に存在しません。いかに安全なものでも、ゼロリスクではありえない。例えば塩は、人間が生きていくためには必須で、ほとんどの料理に入っているまったく安全と思われる調味料ですが、一度に150グラムぐらい食べれば人間は結構簡単に死んでしまうという、実は危ない代物なのです。ただの水でも、一気に大量に摂れば危ない。
「毒にも薬にもならない」という言葉は実に正しくて、全ての薬は摂りすぎると毒です。逆に、どんな毒でも、量が十分に少なければ影響はありません。猛毒といわれるダイオキシンでも、空気中にごく普通に存在するそうです。その数はおよそ、空気1ccあたり分子10万個(実は、ごく普通の「マイナスイオン発生器」と同じくらいの量)。
狂牛病は、その騒ぎの規模に比べて被害者の数が異様に少ない事例です。その辺が、鳥インフルエンザと違う。
前回、「英国では全国民が危険部位を食べたにもかかわらず死者は151人」と書きました。交通事故の死者の何分の一でしょうか。日本での狂牛病被害者はどれくらいでしょうか。実は一番被害が大きいのは、「風評被害」で売り上げが下がった酪農家なのでは。
さて、では米国産牛肉を輸入するメリットは何でしょうか。それは、実は私にはよく分かりません。とりあえず、牛肉が食えなくて困ったということはないし、いつスーパーに行っても牛肉を買うことは可能です。もしかしたら、牛肉輸入は再開しなくてもいいのではないでしょうか。
しかし、その禁止の理由がこれでは、理由になっていないのです。まったく科学的ではないし、アメリカに説明してもこれでは通じない。輸入再開は必要ではないが、再開しない理由もない。別に説得力のある理由があるならまだしも、国際的に通用しない感情論では、また日本のイメージを落とすだけです。日本は技術立国だったはずが、実は単なる科学バカだったと。
「リスクがあるなら、すべきではない」という定性的な判断では、自動車を全世界から無くすしかなくなります。リスクとは0%と100%の二つがあるのではなく、その間で考えるべきで、その量を測るのが本当の「科学的な態度」です。
リスクに関する報道は、「分からない」=「安全」と考えていいのではないでしょうか。危険に価するほどのリスクがあるのなら、「明らかに、ある」となるからです。「分からない」はたいてい「検出限界以下で非常に小さい」という意味で、「完全に安全」と書くのは科学的に間違い(=どんなものでもゼロではありえない)からです。逆に言うと、「絶対に安全」とか言ってる科学者がいたらそれは怪しいのです。
koume