小さい頃、
小学生低学年とかまでは

毎日母に会えば
怒られていたような
気がする


怒られなくなってからも
愚痴のはけ口にされたり

結局は身体的な虐待が
なくなっただけで

雑に扱われる生活は
変わらなかった


そんな中で私が得たものは
怒られる〓いけないこと

自分の考え方が
歪むほど叩き込まれた


楽しいからしたい

から

怒られるからしない

に基準が大きく変わった


それは今でも
意識していないと

気づいたら
そうなってしまう



人生が楽しみよりも

怒られないこと(人の基準)
に重きが置かれていた


ずっと怒られないように
怒られないように

ビクビクしながら
人の基準に顔伺ってたら

そりゃ人のことばかり
気にしてるんだから

自分の人生楽しくない




だけどそれが当たり前で
根付いて違和感すらない人は

それが分からない

むしろそれを
受け入れてしまったら

今までの人生なんだったの


怒ってばかりで
変われない人は

自分の言うことを楽に
聞かせられる優越感とか

怖い人だと思われれば
逆らわれないとか

何かしらの特があるから
変われないのだと思う





自分も嫌だった人と、
同じことしているから

受け入れたら
謝らなきゃいけない


それもどこかにあるのかも




小さい頃は私も母が、
怒ってばかりだったから

自分がいけないことと
思ったら怒ってた



でも、何度も言ってるし
思うけど

怒っても根本的な
原因は解決しない



私は話すために言語化
するのが苦手で

今まで話を聞いて
もらえるという経験が
少な過ぎたからか、

時間が掛かってしまう


だから繰り返し
人や自分の怒りにぶち当たり

ゆっくり話せる形にしていく


怒りってその時
どうにもできないから

それに耐えきれなくなって
出てくるものだと思う


じゃあ、貴方がどうにも
できないからって

貴方の感情をぶつけて

人を苦しめて、歪めてまで
続けるの?


それこそ貴方の怒りを
どうにもできないって

怒りだす第二の貴方が
生まれるだけ

そして貴方も同じことを
されるかもしれない



そこで相手が引きづらずに
見限ってくれれば、

そんなことも
起こらないかもしれない


でも、そうしたら
相手は貴方の前からいなくなる



どちらにしろ
良い結果は見えない


だってただ怒りに任せて
どうにもならないことから

逃げてるだけなんだから



辛かったら逃げてもいい

記事とかでよく見かける
ようになった


確かに逃げずに
壊れるよりかはもちろん

逃げて回復するとか

やり直すとか

それはしても良いと思う


問題は現実を見ずに
逃げ続けるこ


壁に立ちはだかったり
乗り越えたりするのって

大変だよ

何度もぶち当たって
痛い思いしたよ


それが分かってるから
嫌なのかもしれない


でも、壁の前に立ち続けて
壁だけを眺めて


生きていきたい?


私は嫌だ


痛かったし、辛かったし
ずっと逃げていたいと

思ったこともあった


でも、それを乗り越えたり先に
見えた景色、空気


今までとは違った世界を
見てみたくない?


壁は何度でもやってくるけど

その先の景色を見たときの
感動を私は知ってるから


怒りに任せて生きたりしない




もちろんイラッとする時はある

人間だから



でも、何にイラッ(引っかかった)と  
したのか、


じゃあ、引っかからないために
どうしていこうとか

頭が発達障害してる
人間だからこそ

考えられると思ってる


あと、どうしようもないときは
距離を置くということも

大事なことだと思う


怒りという
感情に任せて


いつかその
感情に飲み込まれて


自分を見失うほどに
なったら悲しいね


怒りはあくまで
自分の感情であって


人生ではない、と

気付けて良かった