アリスの子鹿を逃さない | ラララ・メディテーション

ラララ・メディテーション

熟練したセラピストVIJAY(ヴィジェイ)のブログ。瞑想やセラピーなど意識拡大のための探求を人々に分かち合って三十年。
最近はお知らせが多くなってたので、過去記事が面白いともっぱらの評判。心を入れ替え2018年1月より再開。2018.4アメブロに引越し。

 

ジブリッシュ瞑想という笑いヨガのエクササイズを楽しんでいた人が、OSHOのところではジベリッシュ瞑想と呼んで、何十年も前からやっていたということを知ると、自分のしていたことが怪しい宗教のように思えてしまうだろうか?

 

あるいはジベリッシュ瞑想だと思って楽しんでいたOSHOのところのひとが、これはキリスト教では異言と呼ばれるものではないか?と思うと、怖い気持ちになるだろうか?

 

ライトランゲージと名づけて超意識とのチャネリングを楽しんでいた方が、ジベリッシュと呼ぶ無意識の掃除の方法と同じことをしていたことを知ったら、どんな気持ちになるのだろうか?

 

名前が経験を追い払う問題について「アリスの子ジカはなぜ逃げる」という論文で、片桐ユズルさんはこう書いている。

 

 

「なんですか,アリスと子ジカって?」

「アリスが鏡の国で,物の名まえがなくなる森の中へはいる。すると<森>とか<木>とかいう名まえまでもわすれてしまう。

「・・・さて,わたしはだれでしょう? できたら思い出してやるわよ──」でも,そう決心しても,たいしてききめはありませんでした。さんざん頭をひねったあげく,やっといえたのは,「リ──それはリの字で始まるんだわ!」

ちょうどそのとき,子ジカが一匹ぶらぶら通りかかりました。大きなやさしい目でアリスを見ましたが,いっこうに驚いた様子はありません。「さあ,お いで! おいで!」と,アリスは手を出して,なでようとしました。子ジカはあと少し飛びのいただけで,そこからふたたびアリスを見つめています。

「君はなんというものなの?」と,ついに子ジカがいいました。とてもやさしい気持のいい声でした!

「それがわかりさえしたらねえ!」とアリスは思い,いくらか悲しそうに,「ちょうど今は,なんでもないものなの」

「もう一度考えてごらん」と子ジカ,「名まえがなくてはぐあいが悪いよ」

アリスは考えましたけれど,何も思いつきません。「あんたこそ,なんというものなのか教えてくれない?」とアリスはおずおずといいました。「そうしたら,いくらか,わたしの思い出す足しになるかも知れないわ」

「もう少し先へ行ったら教えてあげるよ」と子ジカがいいました。「ここでは思い出せないんだ」

そこで二人は,いっしょに森の中を通って行きました。アリスは子ジカのやわらかい首に腕を回し,愛情をこめて抱きしめていました。ついに別の広々と した野原に出ました。ここへ来ると,子ジカはとつぜん宙にはね上り,アリスの腕からすり抜けました。「ぼくは子ジカだ!」と喜びの叫びをあげました,「お やおや,君は人間の子供じゃないか!」とつぜん驚きの色が美しい茶色の目に浮かびました。そして次の瞬間,全速力で飛んで行ってしまいました。

つまり名まえが経験を追いはらってしまうんだな」

「どういうこと?」

「たとえば,したしくつきあっていた人間が,じつは<チョーセンジン>だったり<部落>出身者だとわかったとたんに,こういう感じにとらわれるひと がいるかもしれない。それから男と女が,すごく話が合って,いい気持でつきあっていたが,ふと,これは<恋>ではないか,とおもうと,とたんに,ギコチな くなってしまうとか,デモにいって高揚した気分になっていたのに,それは自分自身の判断力をマヒさせられているのだよ,といわれて,そうかな,はずかしい ことをした,とおもったり」(以下略) 片桐ユズル

 

ジベリッシュでもジブリッシュでも異言でもライトランゲージでもなんでもいいのだ。赤ちゃんは宇宙語を喋ってるともジベリッシュをしてるとも思わずに、バブバブ言っいる。

すべてを権威的把握におしこめてしまう言語からの解放を感じる体験。無心につながる扉を開けよう。 

http://ameblo.jp/devavijay3/entry-12195787951.html