30年ぶりに母校へ。 | 紺碧の、活力ある伝承物

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休日の今日、中学校時代の担任の先生にお逢いしました。


 

先生に担任していただいたのは、中学2年の時。

 

当時先生は大学を出たばかりの新任で、すなわち私は最初の教え子ということになります。

 

この時のクラスには、今は亡き親友K もいました。

 

時は流れ、先生は何度かの異動を重ね、今年度から教頭として再びこの中学校に復帰。

 

「久しぶりに母校へ来てみないか」と声をかけていただき、

 

今日は思いがけず、母校を訪れることになりました。

 

 

 

 

 

 

 

母校の校門。
3年間毎日くぐった、母校の校門です。
 
恐らく卒業以来、実に30年ぶり。
 
いやもしかすると大学時代、友人数人で深夜に潜入したことがあるような気が。
 
校門は閉まっておらず、セキュリティなんぞもない、長閑な時代でした。
 
・・・ちなみに、窓ガラスを壊して回ったりはしておりません(左矢印・・・意味わかります?あはは)。
 
それはともかく、少なくともまともな時間に訪れるのは確かに30年ぶりです。
 
 
思わず、校歌が口をついて出ました。
 
 
紫竹の丘の東雲に
 
昇る朝日の影受けて
 
高き理想を抱きつつ 集いて磨く学び舎よ
 
○○○中 ああ我が母校
 
 
・・・憶えているものです。
 

 

 

懐かしき学び舎①
懐かしき学び舎。
 
最近耐震工事が行われ、外観が若干変わってはいますが、基本的には当時のままです。
 

 

 

思い出のグラウンド。
陸上部員として、毎日走り回ったグラウンド。
 
Kも、旧友F も、専門種目は異なるものの同じ陸上部で、切磋琢磨の日々でした。
 

 

 

懐かしき学び舎②
校舎内はコンクリート剥き出しだった当時と異なり、随分温かみのある雰囲気になっています。
 
 
 
 
 
・・・やがて、T先生との再会。
 
最後にお逢いしたのは、17年ほど前でしょうか。
 
もう50代半ばの年齢ですが、その容貌はほとんど昔のままでした。
 
 
昨年末、私からの喪中葉書 で母の死を知った先生。
 
私の両親も元教員ですから、現役時代の二人のこともよくご存知です。
 
母の早過ぎる死を、心から惜しんで下さいました。
 
 
そして話題は、Kのことに及びます。
 
「あいつの死を知った時は、その後十日間ほどは何も手につかんかったですね・・・。
あいつは、いずれこっちに戻って来て、
高齢者の方のための事業を興すという想いを持っとったんです。
僕も、一緒にやろういうて声をかけられとって。
僕自身、最終的に目指したいところは『独立』ですから、
もしかしたらあいつと一緒に、何かやれるかも知れんかったんです。
その夢が、突然完全に断たれてしもうたんでね・・・」
 
「うんうん・・・。Kとvigoristは、いつも一緒におった印象が今も残っとるもんなぁ・・・」
 
 
最初の教え子だけに、先生にとっても私たちのことは忘れ難い思い出のようです。
 
 
 
 
 
率直に言って、私にとっての中学時代は決して楽しいものではありませんでした。
 
成績は年々下降線を辿り、
 
当時も今も不器用な私は、周囲との関係も思うに任せないことが多く、
 
学校に行くのが嫌で嫌で仕方ない時も、何度もありました。
 
ですが、この中学校に行っていなければ、T先生にもKにも逢うことはなかったのです。
 
あまりよい思い出のない中学時代ではありますが、
 
そう考えれば、やはり「よかった」と言うべきなのでしょう。
 
 
 
 
 
校務の合い間の、短時間の面会です。
 
再会を約して、学び舎を辞去します。
 
KやFと毎日走ったグラウンドを眺めていると、不意に涙が込み上げてきました・・・。

 

 

 

 

 

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