前回のBlogに乗せた写真で『私はどこ?』わかりましたか?
一番奥の屋根のようなものの上に上っているのが私です。

朝の体操の一コマですね。

さて、本題に入りますが、対象によって、指導を変えないといけない。
これは当たり前のことですが、意外とできていないのです。

そのことを痛感させてもらった出来事を書きますね。

就職したばかりの幼稚園で活動が終わり、子どもたちが変える準備をしているときです。
園庭にスクールバスが来るのを待っている間、走り回って遊んでいました。
そして・・・

先生:『村上先生。子どもたちをここに集めておいてください。』
村上:『わかりました。』
そうそう、私にとっては簡単なことですね。
当時の大学では、『集団行動』という過程があり、集合・解散・2列横隊…などやってましたし、部活でも集合・整列・解散などの支持はやってたので、違和感を持っていません。

村上:『集合~~~』
 
全く集まりません。遊びまくっています。
(そうか・・・遊びに夢中で聞こえないのか!)

村上:『集合~~~~』
 
集まりません。
しかも、その姿を見て周りの先生がなぜか笑っているように見えます。
だんだんとイライラしてきて怒り口調で・・・

村上:『集合!!!!!』
 
集まりません。さらに…確実に先生たちは、肩を震わせて笑っている。

そんな時に、近くの先生が近寄ってきて…
先生:『村上先生。子どもたちは、『集合』という言葉がわかりません。』
村上:『・・・え なんていうんですか?』
先生:『あつまれ~~といえば、来ると思いますよ。』

まだ…冷静になれないでいるが、とりあえず…
村上:『あつまれ~~~』
ドワ~~~~と群れをなして集まるではないですか


先生:
幼稚園の子どもたちは、生まれて3年・4年・5年程度なんですよ。
つまり、日本語がやっとわかり始めた人間なんです。

そうなんですよね。

このようなことは、当たり前のことなんですが、日本のトップアスリートを見て、運動の得意な体育学部にいたから、普通に誰でもわかると思い込んでいたんですね。
子どもたちは、わからないことから…できないことからスタートしているのですね。
これは、子どもだからだけではなく、年齢に関係なく初心者も同様ですね。
確かに、アスリートも初めて取り組むことについても同様ですね。

22歳
指導者として現場に立った時に、すべての人が、《わからない》《できない》ところからスタートしている環境にいたことが私にとっての幸運ですね。
こんなことを書いている私も知っているつもりでいたけど、指導者としては初心者。
《わからない》《できない》ところに本当はいたんですよね。

まずは、《できない》というところからプログラムを考え、指導をしていくとちょっとした成功がすごいことに思えますよ。
だって、自分の子どもが赤ちゃんの時にちょっと物をつかんだり、投げたりしたら『この子は天才だ』と喜んでいましたよね。ほぼ、単なる偶然なんですが…
同じ気持ちで接していけると、身体を動かすことが好きになると思います。