今朝、久しぶりにゆっくりできて、テレビを見ていた。
報道2001で「学校教育と体罰」の件を討論していた。
以前、専門学校に勤めていた時、『指導者論』という授業を行っていた。
その時に、学生に
『あなたが影響を受けた先生とその思い出を教えてください』と質問した。
ほとんどが部活の先生で、その思い出をきくと・・・
『怒られた』ことや『殴られた』ことが圧倒的に多かった。
さらに、突っ込んで聞くと
『私たちのことを真剣に怒ってくれたから感謝している』
というものだった。
その時に、学生たちとちょっと冷静に考えようぜ!と話題になった。
つまり、『怒ったり、殴ったりした先生が良い先生か?』ということだ?
何か間違ってないか・・・?
怒るのは『感情』であり、殴るのは『暴力』なんだけど…
どんなに肯定的な理由があっても事実は変わらない。
教育という手段を一番簡単な方法で片付けようとしている。
だからと言って、間違った指導ともいいにくい。
自分が教員をしていた時、手を出した時は、それなりの覚悟を決めて出したものだ。
その覚悟は、『暴力』となったら、一生責任を取る覚悟である。
教員を辞めるという、そんな覚悟ではなく、その責任を一生背負う覚悟である。
今回の教員関係者は、そんな覚悟を持って臨んでいるのだろうか?
『体罰』=『暴力』である。
相手が、殴り返すことのできない、一方的な『暴力』である。
しかも、複数回殴るのは、犯罪行為だろう。
さらに、問題は、学校のクラブ活動中に圧倒的に多い事である。
高校の部活は、今となっては本当に必要なのか検討すべきだろう。
テレビでも行っていたが、これだけ、スポーツ環境が整って来ている中、学校の一教員が部活まで行っているのは、いかがなものかと思う。
なぜなら、彼らは、体育の教員が専門であり、スポーツの専門ではないからだ。
これまでの閉鎖的な思い込みを脱却し、本来学校が担うべき役割、スポーツが持っている役割を果たしていくべきだと思う。
部活の先生として有名になるよりも学校の先生として有名になるべきである。
自分は、体育の教員免許を持って、学校の先生になりたかった。
そして、何がしたかったかというと部活の指導がしたかった。
この発想の間違いに気づかないと同じ過ちを繰り返すだろう。
学校の先生は、教員になって何をしたいのか?
親は、大切な子どもを学校に入学させてどうしたいのか?
親としての責任を持って、学校に送り出しているのか?
子どもは、学校で何を学びたいのか?
全員が考え直す必要があるだろう。
何度も言うが、『体罰』=『暴力』である。
抵抗できないものを複数回も殴るのは『虐待』である。
自分の子どもが他人にこのような行為を受けたら・・・
健康の定義・・・
『肉体的』にも『精神的』にもそして『社会的』にも良好な状態。
これは、学校という『社会』が良好な状態にないということを認識しようではないか!
指導者として、本来あるべき姿を少しでも多くの方と共有していきたいね。
報道2001で「学校教育と体罰」の件を討論していた。
以前、専門学校に勤めていた時、『指導者論』という授業を行っていた。
その時に、学生に
『あなたが影響を受けた先生とその思い出を教えてください』と質問した。
ほとんどが部活の先生で、その思い出をきくと・・・
『怒られた』ことや『殴られた』ことが圧倒的に多かった。
さらに、突っ込んで聞くと
『私たちのことを真剣に怒ってくれたから感謝している』
というものだった。
その時に、学生たちとちょっと冷静に考えようぜ!と話題になった。
つまり、『怒ったり、殴ったりした先生が良い先生か?』ということだ?
何か間違ってないか・・・?
怒るのは『感情』であり、殴るのは『暴力』なんだけど…
どんなに肯定的な理由があっても事実は変わらない。
教育という手段を一番簡単な方法で片付けようとしている。
だからと言って、間違った指導ともいいにくい。
自分が教員をしていた時、手を出した時は、それなりの覚悟を決めて出したものだ。
その覚悟は、『暴力』となったら、一生責任を取る覚悟である。
教員を辞めるという、そんな覚悟ではなく、その責任を一生背負う覚悟である。
今回の教員関係者は、そんな覚悟を持って臨んでいるのだろうか?
『体罰』=『暴力』である。
相手が、殴り返すことのできない、一方的な『暴力』である。
しかも、複数回殴るのは、犯罪行為だろう。
さらに、問題は、学校のクラブ活動中に圧倒的に多い事である。
高校の部活は、今となっては本当に必要なのか検討すべきだろう。
テレビでも行っていたが、これだけ、スポーツ環境が整って来ている中、学校の一教員が部活まで行っているのは、いかがなものかと思う。
なぜなら、彼らは、体育の教員が専門であり、スポーツの専門ではないからだ。
これまでの閉鎖的な思い込みを脱却し、本来学校が担うべき役割、スポーツが持っている役割を果たしていくべきだと思う。
部活の先生として有名になるよりも学校の先生として有名になるべきである。
自分は、体育の教員免許を持って、学校の先生になりたかった。
そして、何がしたかったかというと部活の指導がしたかった。
この発想の間違いに気づかないと同じ過ちを繰り返すだろう。
学校の先生は、教員になって何をしたいのか?
親は、大切な子どもを学校に入学させてどうしたいのか?
親としての責任を持って、学校に送り出しているのか?
子どもは、学校で何を学びたいのか?
全員が考え直す必要があるだろう。
何度も言うが、『体罰』=『暴力』である。
抵抗できないものを複数回も殴るのは『虐待』である。
自分の子どもが他人にこのような行為を受けたら・・・
健康の定義・・・
『肉体的』にも『精神的』にもそして『社会的』にも良好な状態。
これは、学校という『社会』が良好な状態にないということを認識しようではないか!
指導者として、本来あるべき姿を少しでも多くの方と共有していきたいね。