あ、そうだ、写真のこと書く
今日は朝から劇場の下見。
電車道中が退屈なのと、燈灯さんにいい問題提起をいただいたので、オレなり写真論を書く。
コメントにも書いたけど、
オレの写真は関係性を見る写真だと思ってて、そりゃぁ普通に「キレイだなぁ」と思って撮ることもあるんだけど、景色とか、作品的な視点で撮るときは、写真の持つ、「切り取る」っていう要素を意識してる感が強い。
当然、写真の外の、現実世界には四角い枠なんて存在しないわけで、オレが勝手に切り取った写真に写らなかった色々がある。関係性を、写真の中で完結させることも可能だけど、敢えてフレーム外を想像させて、関係性を生み出すこともできると思う。
オレはどちらかというと、後者の方が、撮り方としては好きで、今タイトル画像になってる、池の写真とかは前者寄りになるわけだけど、この間使ってた猫の写真とかは、猫の視界の先をわざと区切って、猫が「何かを見てる」っていう写真にして、何を見てるのか想像させる写真にした。
実際には、何か特定のものを見てるわけじゃないんだけど、ブツッと切ることで可能性が出来た。
写真が、そのまま作者の表現媒体っていう位置付けに留まらず、見てる人逹がそれぞれ、自分の経験なり想像力なりを持ち寄って、一人一人違った楽しみ方が出来るような、余白のある写真を撮りたいんです。
電車道中が退屈なのと、燈灯さんにいい問題提起をいただいたので、オレなり写真論を書く。
コメントにも書いたけど、
オレの写真は関係性を見る写真だと思ってて、そりゃぁ普通に「キレイだなぁ」と思って撮ることもあるんだけど、景色とか、作品的な視点で撮るときは、写真の持つ、「切り取る」っていう要素を意識してる感が強い。
当然、写真の外の、現実世界には四角い枠なんて存在しないわけで、オレが勝手に切り取った写真に写らなかった色々がある。関係性を、写真の中で完結させることも可能だけど、敢えてフレーム外を想像させて、関係性を生み出すこともできると思う。
オレはどちらかというと、後者の方が、撮り方としては好きで、今タイトル画像になってる、池の写真とかは前者寄りになるわけだけど、この間使ってた猫の写真とかは、猫の視界の先をわざと区切って、猫が「何かを見てる」っていう写真にして、何を見てるのか想像させる写真にした。
実際には、何か特定のものを見てるわけじゃないんだけど、ブツッと切ることで可能性が出来た。
写真が、そのまま作者の表現媒体っていう位置付けに留まらず、見てる人逹がそれぞれ、自分の経験なり想像力なりを持ち寄って、一人一人違った楽しみ方が出来るような、余白のある写真を撮りたいんです。