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翕 然(胡麻柴の布袋号景虎と+α)

主に8割が我が家の柴犬・景虎の事について。残る2割は何気ない日常のあれこれ。更新は基本的にスローペースで、のらりくらりやってます(•∀•)

  

古い戸籍探しを市役所の職員さんにお願いし、あちこちで時間を潰して2時間くらいが経った頃に戸籍が揃ったという連絡をいただきました。わくわくしながら市役所へ向かいますランニング音譜

  

  

こちら、市役所で出していただいた私が取得できる中での御先祖様の最古の戸籍でございます!!


戸籍としては父方の祖母の曾祖父母達までのものを取得でき、戸籍はないけれど名前のみの記載で父方の祖母の高祖父母達を見つける事ができました拍手

私から数えて6代前の御先祖様達が判明した事になりますびっくり


最古の戸籍に記されている生年月日は祖母の母方の高祖母の天保8年、1837年でした。この年は徳川家の12代目の将軍である徳川家慶が将軍に就任した年であり、大塩平八郎の乱が起きた年でもあります

祖母の高祖母と同じ1837年生まれの人物に徳川家最後の将軍である徳川慶喜、明治維新の立役者として有名な板垣退助がいました。ええええええっポーン


天保8年生まれのこの祖母の高祖母は祖母の曾祖母の親に当たる人として最古の戸籍には記載されているのですが、祖母の曾祖母とは年齢が11歳しか離れていない上に祖母の曾祖母側の戸籍の記載では母親の名前が違うのでどうやら祖母の曾祖母の実の親ではないようです。祖母の高祖父の後妻のようでした

そして祖母の高祖父には男子がいなかったのか、祖母の曾祖父を自身の養子にもらって自分の娘(祖母の曾祖母)と結婚しています

それで生まれた人達が祖母のおじいさん(私から見たら高祖父)になります


…と、ここでとても不思議な事が起きてまして、祖母のおじいさんは自分の娘(祖母の母親、樺太に養子に行った私の曾祖母)に天保8年生まれの祖母の高祖母と同じ名前を付けています


何だかものすごく分かりづらい説明だったので例え話にしますが、自分のおじいちゃんの再婚相手の名前を自分の娘に付ける感じです。加藤茶のお孫さんが自分の娘に綾菜と名付けるようなものです(例え方よ(笑)


祖母の高祖母は祖母の母親が生まれる12年前にはすでに亡くなっていますし、同じ名前を付けるという事は祖母の高祖母は尊敬に値する人物だったという事なのでしょうか…

ほら…昔によくある故人と同じ名前を付ける(故人のような立派な人になって欲しいとの願いを込めて)みたいなそういうやつ。そうでなければ自分の娘におじいちゃんの後妻の名前って付けませんよね……祖母側から見ても孫娘に継母の名前なんて気分良くないですし…。謎しかありませんえー?


祖母の父方の高祖父も名前のみで判明しましたが、まさかのこっちも祖母の高祖父が祖母の曾祖父を養子にもらう形になっていましたあんぐりハッ

ただしこっちは祖母の母方の高祖父と違って自分の娘と結婚させる形ではありませんでした



……それにしても祖母の曾祖母だの祖母の高祖父だの、字面にするとものすごくややこしいですね凝視

6代前の祖母とか5代前の祖父と言った方がいいのでしょうか…



御先祖様達の戸籍を見て一番に思った事は、父方の祖母の家系って養子をもらったり養子に行ったりが多い家系だな…という事でした。養子や婿養子を取って家を存続させていくタイプの家系に思えます

そういう私も実の父の家系から(母親のせいで)他所のおっさんの養子にされた境遇なので「いやいや!こういう部分の家系の連鎖しなくていいから!!」という気持ちになっています。そんな家系の因縁みたいな部分で代々似るのやめてください真顔



そして私の父方の曾祖父を探す点で一番気になっていた曾祖母が養子縁組をした相手である養父母について



な、なんと!!判明しました!!



戸籍を受け取ったその場では見つける事ができなかったのですが、その後に御先祖様達の部分を1人1人じっくり見ていた時に見つけました!!

曾祖母が養子縁組をした相手、それは曾祖母の父親の姉夫婦(以下:伯母と表記)でしたガーン

この伯母の名前、夕張で取得した曾祖母の戸籍ではひらがな表記だったのですが、由利本荘で取得した戸籍ではカタカナ表記だったのでその場では分からなかったんだと思います。昔の戸籍あるあるなのかもしれません


養子縁組をした時点で曾祖母は20歳だったし、さすがにこの年齢で赤の他人と養子縁組はしないんじゃないだろうかと考えてはいましたが、まさにその通りで身内との養子縁組でした

同時に養父母となった伯母夫婦が樺太に行く前に居た場所も大まかに記載されてまして、北海道枝幸郡枝幸町にいたようです

  

  

↑赤い点線で囲まれた場所が枝幸町です。更にその上の赤丸で囲んでいるサハリンの部分がかつての樺太で大泊町があった場所です。大泊町は海に面した港町だったようです船


こうして見ると枝幸から樺太の大泊までの距離は大体苫小牧〜八戸くらい、もしくはそれよりも少し短い感じでしょうか

船の速度が今ほど速くないにしても、船ですぐに渡れる距離にありますね。時代背景的にも移住した理由が頷けます



どうやら曾祖母の伯母は再婚で枝幸町に行ったらしいです。秋田県から北海道の枝幸町まではなかなかの距離があるので一体何がどうしてこうなったんでしょうか…

とは言え、養父母の身元が判明したという事は上手くいけば曾祖父についても何か分かる事が出てくるかもしれません。私としては曾祖父の正体は曾祖母の伯母の再婚相手の親族の誰かだったという結果である事を願いたいです(伯母の再婚相手の甥とか従兄弟とか)


しかしこの枝幸町、交通の便がほぼない!

バスが1日に1本しかなく、札幌からは5時間30分、旭川からでも3時間30分かかるそうですネガティブ

なのでここは素直に広域交付を活用して曾祖母の養父の家系の戸籍を取り寄せる事にしました



こうして由利本荘市において父方の祖母の御先祖様達の家系の戸籍はコンプリートできました。更には父方曾祖母の養父母も見つける事ができたので大きな収穫です

けれども誤算が1つありまして、この戸籍取得で1日が終わりました笑い泣き

夕張で戸籍を出してもらった時も、母方の曾祖父母〜高祖父母達を出してもらった時も20分もかからずに出していただいたのでそういうものだと思って行ったら……いやはや…そうではなかった…真顔


予定としては由利本荘で父方の祖母の家系の戸籍を取った後に秋田市に戻って父方の祖父の家系の戸籍を取ろうと考えていました

でも1時間に1本しかない汽車に乗って約45分かけて秋田市に戻ったとしても市役所に着いたら時間ギリギリだし、諦めて帰路のために北上するにしても歩き回り過ぎて疲れてしまったしでこの日は秋田市内に泊まる事にしました温泉


「祖父の御先祖様達の戸籍全てを取ったら時間がかかるだろうし(今回で学んだ事)、それなら曾祖父母の戸籍だけでも取って帰ろう。そこから先は広域交付を活用しよう」と思い、次の日に北海道に帰る前に市役所に行ったわけですが…


次回はその結果についてですにやり

  


  

船の上で迎えた御先祖様探しの旅の2日目です目

前日、6時に起きると仮定したら7時間くらいは寝れるだろうと想定して23時頃には就寝した私でしたが……



起きたのは4時過ぎでした…



まさかのこの時間に目が覚めてしまいまして…凝視

2度寝したくてもなかなか寝付けず、そうこうしているうちに空が明るくなり始めてきて結果的に4時起きのまま過ごす事になりました……

  

  

朝5時の景色でございます。ね…眠い…えーん

  

  

この時点で男鹿半島近くまで来ていました。布団で横になる→時々起きて荷物を片付けるという動きを2〜3回くらい繰り返していたらあっという間に6時を過ぎてしまったので、ここからは身支度を整える作業に完全に移行しました


6時40分、船内放送にて「この後、秋田港を6時15分に出航した苫小牧行きの姉妹船【らいらっく】とすれ違います」というアナウンスがあり、それを見るために外に出てみました船

  

  

※ 0:31 の 部 分 の 音 量 に 注 意 ! !


すれ違う時は互いに汽笛を鳴らして挨拶をします

どうやら私の部屋は汽笛の真下だったようで、汽笛が鳴った瞬間に「う、うわあああああびっくり」とびっくりしました

  

  

汽笛の音にビビりながらも苫小牧へ向けて進んで行ったらいらっくを見送り、荷物を全て詰めて部屋を片付けていたらいつの間にやら秋田港に到着していましたびっくり


大体7時を過ぎたあたりでしょうか、ここで個室を利用していて尚且つ秋田で下船する人のところにお部屋の鍵回収のために船員さんがやって来ました

さらに下船間近になると「お部屋にお客様が残っていないか係の者が見回りに参ります」というアナウンスが…


こ、これは…港に到着したら即座に下船せよという圧を感じる…!


恐らく、秋田に寄港したのと同時に客室清掃の方々がたくさん乗ってきたのでその関係で「港に着いたらさっさと下船してください!」という事なんだと思います

このフェリーが新潟に向けて出港する時刻は8時35分なので清掃時間はいろいろ見積もっても30分〜40分くらいしかありません。スムーズに清掃を終わらせるための下船促しアナウンスなんでしょうねキョロキョロ


  

  

定刻通り7時35分に秋田港に到着。秋田駅行きのバスは8時22分で時間がかなりあったため、ターミナル内の食堂で稲庭うどんを朝食として食べました 割り箸


秋田県は中学時代の修学旅行で訪れて以来なので実に20年ぶりの訪問になりました。とは言え、修学旅行の時は青森を経由して角館方面にしか行かなかったので秋田駅周辺に来るのは今回が初めてになりますおねがい

  

  

時刻になり、バスに乗って秋田駅へバス


さて、ここから旅の1番の目的である御先祖様達の戸籍を取りに行く作業に入る訳ですが、実父の父方の家系と母方の家系のどちらから取りかかろうかしらうーんとバスに揺られながら考えた結果、秋田市内から離れている実父の母方の御先祖様達から始める事にしました


実父の父方の家系は秋田市でしたが、実父の母方の家系は由利本荘市でした

  

  

ロッカーに荷物を預け、10時44分発の特急いなほ8号で由利本荘市に向かいましたDASH!

  

  

由利本荘市役所がある羽後本荘まで行きます。今回の作業を行うにあたり、私の戸籍謄本、実父の戸籍謄本、実父の母方の祖母の戸籍謄本を全て持って来ました。THE 個人情報の山!!(ビニール袋に入っているのがそれです)


市役所があるのは羽後本荘の駅がある場所なのですが、今から戸籍を取りに行く御先祖様達が住んでいた場所は由利郡亀田町亀田大町、今の岩城亀田でした

かの有名な真田幸村の娘がこの出羽亀田藩の2代目城主・岩城宣隆に嫁いだそうです。この2代目城主である岩城宣隆は伊達政宗とは従兄弟同士の間柄になります(岩城宣隆の母親が伊達政宗の叔母にあたる人なので)

な…何というビッグネーム揃いポーン


そんなビッグネーム揃いのすごい人が治めていた土地である岩城亀田は一体どんな場所なのかな〜、立ち寄れたらいいな〜と思って地図で見てみたところ……

  

  



あの…ごめんなさい…。さすがにこの立地は無理です…チーン



羽後亀田駅から町までが遠い…ゲッソリ

歩いてもいいけど昨今の熊事情が怖いので申し訳ないですが今回は車窓から眺めるだけで勘弁してください…

  

  

…というわけで、車窓から羽後亀田駅の写真だけ撮りました。今回は戸籍を取りに行く事がメインだったので岩城亀田の町中には行きませんでしたが、どうやらこの羽後亀田駅から岩城亀田の町へ行くバスがあるそうなのでまた秋田県に行ける時間ができたら行ってみたいですニコニコ

  

  

11時17分、目的地である羽後本荘駅に到着

  

  

ここから市役所までは徒歩で10分少々だったのでそのまま歩いて向かう事にしました走る人

  

  

由利本荘市役所に到着ですにっこり

  

  

ここはかつて本荘城があった場所らしく、その跡地が市役所と本荘公園になっています桜

  

  

市役所に隣接する形で本荘公園があります。公園内をもう少し見ていたかったのですが、そんなに悠長にもしていられないので目的を果たしにいざ市役所へランニングDASH!


とりあえず実父の母方の祖母の実の両親と養父母、それに実父の母方の祖父の5人分の戸籍を取る事にしました

この養父母に至っては実父の祖母が養子縁組をした時点で樺太(大泊町、今のコルサコフ)に住んでいたので、ここで請求するのはある意味賭けでもありました。もしかしたら樺太に行く前はここに住んでいたのではないかという微かな望みです

実父の祖父に関しても同様で、もし祖母の養父母の戸籍がこの地にあってこの養父母の血縁者であればその戸籍に名前の記載があるのではないかと考えたからです


用紙に必要事項を記入して窓口へ行き、戸籍を取りたい旨をかくかくしかじか説明したところ…



本日中には戸籍を出せると思いますとのお返事がニコニコ



と言っても、やはり樺太に住んでいた養父母を探すのは時間がかかる可能性があるため戸籍を出せるのは実父の母方の祖母の実の両親とそこから遡った人達に限定されました

多分、話の中で「すみません北海道には明日帰ります」と答えたので可能な範囲で探してくれようとしたんだと思います。……急なお願いで本当に申し訳ない(しかも県外から来た上に次の日に帰るという)


戸籍が揃ったら連絡をくれるとの事だったので、それまで私は由利本荘市内をぶらぶら歩いて暇を潰す事にしました。汽車に乗って秋田市内に戻ったとしても汽車は1時間に1本だし、秋田駅から羽後本荘駅までワンマン電車で片道約45分くらいかかるので由利本荘市内から下手に動かない方がいいだろうと思っての選択でした



次回は待ちに待った御先祖様の戸籍入手の巻ですニコ

  


  

9月17日〜19日の日程で秋田県に行って来ました。帰りたてほやほやでございますほっこり


今回私が秋田県に行った目的、それは父方の御先祖様達を探すためでした

今から8年前に実父と父方の祖父母の戸籍を取りに夕張に行きましたが、祖父母の親(私の曾祖父母達)の戸籍は秋田県にある事が判明したのでそれからそのままになってしまっていました

  


  

(↑こちらがその時の記事です)



2024年3月から現地に行かずとも自分が現在住んでいる市区町村の役所で全ての戸籍を取得できる広域請求(広域交付)制度が新たにできたそうなので、やろうと思えばその方法で秋田県にある曾祖父母から先の御先祖様達の戸籍も取得は可能でした。しかし…



私は!御先祖様達が実際に住んでいた場所をこの目で直に見たいんです!!



……という、超絶頑固な意思が発動したので実際に行って来ましたランニング


今回は行きは新日本海フェリーを利用して秋田県に向かい、帰りは新幹線と特急を乗り継いで北海道に戻ってくるという全て陸路の旅でした

2年前に東京に行った際に 飛行機を利用しましたが、どういうわけかそれから飛行機が少し怖くなってしまいまして…飛行機に乗れない訳ではないのですが、できるならば飛行機を利用せずにやってみようという事でオール陸路でやってみましたひらめき電球




そんなわけで17日はいつも通りに仕事をこなし、仕事が終わったその足ですぐさま秋田県に直行しましたDASH!

  

まず最初に向かう場所は南千歳駅。新日本海フェリーが運行している秋田行きのフェリーがあるターミナルの場所は苫小牧東港です。この苫小牧東港へ行くためのバスが南千歳駅から出ています
バスが出ていると言ってもバスは要予約制なので注意が必要です。ネットからフェリー利用の予約をした方は同時にバス利用の有無についてメールが送られてくるので、そのままネットでバス利用も一緒に予約した方が楽だと思います(私は今回この方法でバス利用の予約をしました)

ちなみに苫小牧東港はシルバーフェリーやさんふらわあ、仙台や名古屋行きの太平洋フェリーが出ている苫小牧西港とは全く別の場所のターミナルになりますキョロキョロ
なのでターミナル自体の場所を間違えてしまった場合、かなり大変な事になりますので要注意です


新千歳空港へ向かう路線は遅延や運休が生じていないだろうか…大丈夫だろうか…と、この日は朝からJR北海道のホームページの各駅運行情報とにらめっこしていましたが、遅延も運休もなく無事に南千歳まで行く事ができました電車

札幌駅を16時48分に発車する快速エアポートに乗り、17時23分に南千歳駅に到着ですニコニコ

  

  

苫小牧東港行きのバス乗り場へ行く通路はこちら側になります

私は間違えて反対側の通路に行ってしまい、「……なんか違わないか?」と思って戻って来て間違えに気付きました。……これは時間に余裕がなかったら大変だったわ驚き

  

  

こちらが苫小牧東港行きのバス乗り場。バスの発車は17時50分です

  

  

新千歳空港が近いので空港から飛び立った飛行機が頭上を通っていました飛行機

そしてバスに乗車し、苫小牧東港へ向けて出発。道中、街灯の少ない裏道のような道路だったので「苫小牧西港へ向かう道とはえらい違いだな…」と思うなどしていました。これはバスに乗り損ねたら一大事ですわ…

  

  

そんなこんなで18時40分に苫小牧東港に到着です船

  

  

実は新日本海フェリーに乗るのは今回が初めてです。日本海側は揺れると聞いていたので船酔いを心配して乗る事を躊躇していましたが、船酔いしたらもうその時は仕方ない!それも経験だわ!と開き直って乗る事を決めました

(※結果として船酔いは全くしませんでした)

  

  

18時50分、徒歩客の乗船開始です

  

  

今回、乗船した船は新潟行きの【ゆうかり】でした

  

  

お部屋は少し奮発してテラス付きの個室にしましたニヤニヤ

  

  

こちらがそのお部屋。この写真だけ見るとまるでホテルのお部屋のようですね!


  

こちらがテラスになります。テラスが思っていたよりも広くて1人でハイテンションになってましたこれは奮発してテラス付きの個室にした甲斐がありました照れ

  

  

こちら、新日本海フェリーに乗りました記念の私です真顔


……ものすごくどうでもいい情報すぎる(笑)

  

  

そうしてあちこちの写真を撮った後はデッキに行って船が出航するのを見届け、レストランで軽く食事をし、売店に寄って飲み物や御船印を購入してから大浴場に行って入浴を済ませて部屋に戻ってきました

  

  

船が秋田港に到着する時間は朝の7時35分。朝の早起きが苦手な私にとってはなかなかにハードな時間帯ですショック

睡眠時間はしっかり確保しようと思い、この日は23時頃には就寝しました。6時に起きると仮定したら7時間くらいは寝れるだろうと思って床に就いた訳ですが……思惑が大きく外れてしまう事に…ガーン



次回は秋田県に到着&御先祖様達の土地へ行ったお話です照れ

  


  

つい先日、今まで使っていたiPhone7を機種変更して新しい機種にしてきました携帯


変更した機種はこちら!

  

  


iPhone16ですおねがい



昨年発売された機種なので、アプリのアップデートに関しても2032年くらいまではサポートが終了する云々の心配もなく安心して使えるんじゃないかなという事で思いきってこちらの機種にしました。ちなみに容量は256GBです(iPhone7は128GBだったので倍になりました)


今回の機種変更で一番驚いた事は、オンラインショップでは在庫があるのに店頭ではその在庫を取り寄せての機種変更ができないという事

私の場合はiPhone16の256GBを希望していましたが、店頭にあったのは128GBのみ。なのでオンラインショップで自分で取り寄せてくださいという事でしたびっくり

来店予約を選んでも機種変更希望の旨で出てくる機種は128GBしかなく、これはもたもたしていたらオンラインショップの方でも256GBが在庫切れになってしまうのでは!?という懸念もあり、このタイミングでの機種変更に踏み切りました


実は変更する機種はiPhone16ではなくてiPhone16plusを考えていました。しかし見事なまでに256GBが在庫切れに…

これはもうplusの方でなくてもいいから機種の在庫があるうちに手に入れておかないと機種変更の機会を逃すと思い、それで決断しました


……とは言え、基本的に1度機種変更をしたら何か特別な事がない限りは同じ機種をずっと使うのがこの私真顔

そのせいか機種変更=店頭で行うものという昔のやり方の認識しかなかった上にSIMカードを入れたり(今回の機種はカードタイプにしました)、機種を並べるだけで新しい機種にデータを移行できるという部分のやり方など不安なところが多々あったので、とりあえず機種はオンラインショップで購入してその機種を店頭受取にし、その流れで「こういうやり方の機種変更は初めてなので教えてください!!」と言って店頭でSIMカードやデータ移行を行いました(正確にはやってもらいました)



今はこうして機種変更も自分で全て完了させる時代なんですね……プランの移行も機種を購入する際にオンラインショップ内で変更しますし…


そして分割で支払うとは言っても機種代金の金額にびっくり!20年前に自分のお小遣いで払えるくらいの機種代金だった時代が懐かしいです…無気力

6年前にiPhone7にした時もここまで高くはなかった気がします。端末が新しくなるにつれてスペックも高性能になっていくから値段が高くなるのは仕方ないんだろうなぁ…ショック

それにしても今の機種代金…下手すれば初任給レベルですよ…ネガティブ



  

  

新しい機種になって早々、景虎を撮影してみました。何というか……何だこの魚眼レンズ感は…

カメラ内の設定をあちこちいじってから撮った訳ではないのですが…これが新型の端末の仕様なのでしょうか…凝視


新型の端末について、これからいろいろと知っていく必要がありそうですチーン

  


  

本日、景虎はシャンプーに行ってきましたシャンプー

  

  

汗をかいた身体もシャンプーしてすっきりさっぱりです!相変わらずふわふわだし、いい匂いですねぇ〜酔っ払い

  

  

私に「ああああああ〜酔っ払い」と言われながらにおいを嗅がれたり桃尻になった尻を撫で回されたりと揉みくちゃにされる景虎。それでも鼻に皺を寄せる事なく、この顔↑なのでかわいいですデレデレ


そして端から見たら私はただの変質者です(笑)



さて、ちょっとここで本日のシャンプーの裏話をさせてください真顔

昨日のうちに本日の天気予報を確認したら朝が雨降りの予報になっていました。シャンプーの予約は午前中だったので、シャンプー前にお散歩に行くのは難しいかもしれないと思った私は昨日の夜にお散歩に行く事にしました犬ダッシュ



クマとクモの恐怖に震えながら…



そうです。私は虫の中でクモがこの世で1番嫌いなんですえーん


あれの存在意義が全く分かりません。何のために存在してるんですか!?動きも形も全てが気持ち悪いし!!そもそも脚が8本とか多過ぎだろ!!脚くらい減らせよ!!

益虫と言われたりもしますが私にとっては害虫でしかないです!!駆逐されたらいいのに!!ムキー

しかもクモって打ったら予測変換にクモの絵文字出てくるのどうにかなりませんかね!?



……そんな感じで昨今のクマ事情により、クマもなかなかに怖いのですがそれと同じレベルでクモも非常に嫌です。怖いというより嫌です。嫌悪の対象物!!


そうして景虎の夜のお散歩に繰り出した訳ですが、あいつらは隙間さえあればどこにでも巣を張るんですよ。しかも夜だからもれなく巣のど真ん中に本体が鎮座してます

なので車道を歩いていたのですが、景虎がにおいを嗅ぎに歩道に上がった際に何だか嫌な予感がして立ち止まって懐中電灯でその歩道を照らしてみると……



巣 に 鎮 座 す る ク モ が い ま し た 



いやああああああああ!!ゲロー



リアルに悲鳴をあげた飼い主です。ちなみにそこは民家からはみ出している木の枝と電柱がちょうど平行になってる感じの歩道でした


そんなところに巣を張らないでくれ!!ムカムカ


後から思った事ですが、私は懐中電灯で周りを照らせるからいいけれど、懐中電灯を持っていない人だったら確実に巣と本体に激突しますよね…しかも歩道のど真ん中だし……



う…うわあああああ!!ゲロー



なんかもう、想像しただけでゾッとしますよ…!


その後にチラッと寄った公園では隙間という隙間が巣に帰ってきたクモだらけで更に絶叫。公園を抜けるまでへっぴり腰だし、自分の髪の毛が顔に触れる事にすらビビりまくって悲鳴あげてるしで帰りはほぼ魂が抜けかけてましたチーン

昼間はクモの巣は破壊されてるせいかほとんどないのに…なんでだよ…えーん



そんなこんなで精神的にも肉体的にも疲弊しながら帰宅。家に着くなり景虎の身体をウェットティッシュでくまなく拭き、私も速攻で着替えて脱いだ服は秒で洗濯機へ入れました

蚊に刺されたり蛾が飛んでいるのは夏の時期だし仕方がないです。しかしクモ!お前だけはダメだ!物申す


という事がシャンプー(正確にはシャンプー前夜)の裏話でした…

それと同時に発覚する私の相当なクモ嫌い!!

まぁ、好きな人はほとんどいないとは思いますが、私にしてみればクモよりもゴキブリの方がはるかにマシなレベルですね…

そういう事もあり、そのような心配(クモの巣と本体)がない冬の方が私は好きです。北海道の冬は寒いですが、安心して過ごせるのでぼけー


動く姿がクモに似ている+脚も同じく8本という理由で実は生きているタコも嫌いだったりします。だって動きが気持ち悪いいいいい!!ゲロー


山にいるクモもなかなかの大きさですが、本州の方には更に大きなクモ(アシダカ)がいると聞いて「私には無理だ(住めない)……」という心境になっています…

ほんと…なんであんな虫が滅びずに存在しているのか意味が分かりません…