古い戸籍探しを市役所の職員さんにお願いし、あちこちで時間を潰して2時間くらいが経った頃に戸籍が揃ったという連絡をいただきました。わくわくしながら市役所へ向かいます![]()

こちら、市役所で出していただいた私が取得できる中での御先祖様の最古の戸籍でございます!!
戸籍としては父方の祖母の曾祖父母達までのものを取得でき、戸籍はないけれど名前のみの記載で父方の祖母の高祖父母達を見つける事ができました![]()
私から数えて6代前の御先祖様達が判明した事になります![]()
最古の戸籍に記されている生年月日は祖母の母方の高祖母の天保8年、1837年でした。この年は徳川家の12代目の将軍である徳川家慶が将軍に就任した年であり、大塩平八郎の乱が起きた年でもあります
祖母の高祖母と同じ1837年生まれの人物に徳川家最後の将軍である徳川慶喜、明治維新の立役者として有名な板垣退助がいました。ええええええっ![]()
天保8年生まれのこの祖母の高祖母は祖母の曾祖母の親に当たる人として最古の戸籍には記載されているのですが、祖母の曾祖母とは年齢が11歳しか離れていない上に祖母の曾祖母側の戸籍の記載では母親の名前が違うのでどうやら祖母の曾祖母の実の親ではないようです。祖母の高祖父の後妻のようでした
そして祖母の高祖父には男子がいなかったのか、祖母の曾祖父を自身の養子にもらって自分の娘(祖母の曾祖母)と結婚しています
それで生まれた人達が祖母のおじいさん(私から見たら高祖父)になります
…と、ここでとても不思議な事が起きてまして、祖母のおじいさんは自分の娘(祖母の母親、樺太に養子に行った私の曾祖母)に天保8年生まれの祖母の高祖母と同じ名前を付けています
何だかものすごく分かりづらい説明だったので例え話にしますが、自分のおじいちゃんの再婚相手の名前を自分の娘に付ける感じです。加藤茶のお孫さんが自分の娘に綾菜と名付けるようなものです(例え方よ(笑)
祖母の高祖母は祖母の母親が生まれる12年前にはすでに亡くなっていますし、同じ名前を付けるという事は祖母の高祖母は尊敬に値する人物だったという事なのでしょうか…
ほら…昔によくある故人と同じ名前を付ける(故人のような立派な人になって欲しいとの願いを込めて)みたいなそういうやつ。そうでなければ自分の娘におじいちゃんの後妻の名前って付けませんよね……祖母側から見ても孫娘に継母の名前なんて気分良くないですし…。謎しかありません![]()
祖母の父方の高祖父も名前のみで判明しましたが、まさかのこっちも祖母の高祖父が祖母の曾祖父を養子にもらう形になっていました![]()
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ただしこっちは祖母の母方の高祖父と違って自分の娘と結婚させる形ではありませんでした
……それにしても祖母の曾祖母だの祖母の高祖父だの、字面にするとものすごくややこしいですね![]()
6代前の祖母とか5代前の祖父と言った方がいいのでしょうか…
御先祖様達の戸籍を見て一番に思った事は、父方の祖母の家系って養子をもらったり養子に行ったりが多い家系だな…という事でした。養子や婿養子を取って家を存続させていくタイプの家系に思えます
そういう私も実の父の家系から(母親のせいで)他所のおっさんの養子にされた境遇なので「いやいや!こういう部分の家系の連鎖しなくていいから!!」という気持ちになっています。そんな家系の因縁みたいな部分で代々似るのやめてください![]()
そして私の父方の曾祖父を探す点で一番気になっていた曾祖母が養子縁組をした相手である養父母について
な、なんと!!判明しました!!
戸籍を受け取ったその場では見つける事ができなかったのですが、その後に御先祖様達の部分を1人1人じっくり見ていた時に見つけました!!
曾祖母が養子縁組をした相手、それは曾祖母の父親の姉夫婦(以下:伯母と表記)でした![]()
この伯母の名前、夕張で取得した曾祖母の戸籍ではひらがな表記だったのですが、由利本荘で取得した戸籍ではカタカナ表記だったのでその場では分からなかったんだと思います。昔の戸籍あるあるなのかもしれません
養子縁組をした時点で曾祖母は20歳だったし、さすがにこの年齢で赤の他人と養子縁組はしないんじゃないだろうかと考えてはいましたが、まさにその通りで身内との養子縁組でした
同時に養父母となった伯母夫婦が樺太に行く前に居た場所も大まかに記載されてまして、北海道枝幸郡枝幸町にいたようです
↑赤い点線で囲まれた場所が枝幸町です。更にその上の赤丸で囲んでいるサハリンの部分がかつての樺太で大泊町があった場所です。大泊町は海に面した港町だったようです
こうして見ると枝幸から樺太の大泊までの距離は大体苫小牧〜八戸くらい、もしくはそれよりも少し短い感じでしょうか
船の速度が今ほど速くないにしても、船ですぐに渡れる距離にありますね。時代背景的にも移住した理由が頷けます
どうやら曾祖母の伯母は再婚で枝幸町に行ったらしいです。秋田県から北海道の枝幸町まではなかなかの距離があるので一体何がどうしてこうなったんでしょうか…
とは言え、養父母の身元が判明したという事は上手くいけば曾祖父についても何か分かる事が出てくるかもしれません。私としては曾祖父の正体は曾祖母の伯母の再婚相手の親族の誰かだったという結果である事を願いたいです(伯母の再婚相手の甥とか従兄弟とか)
しかしこの枝幸町、交通の便がほぼない!
バスが1日に1本しかなく、札幌からは5時間30分、旭川からでも3時間30分かかるそうです![]()
なのでここは素直に広域交付を活用して曾祖母の養父の家系の戸籍を取り寄せる事にしました
こうして由利本荘市において父方の祖母の御先祖様達の家系の戸籍はコンプリートできました。更には父方曾祖母の養父母も見つける事ができたので大きな収穫です
けれども誤算が1つありまして、この戸籍取得で1日が終わりました![]()
夕張で戸籍を出してもらった時も、母方の曾祖父母〜高祖父母達を出してもらった時も20分もかからずに出していただいたのでそういうものだと思って行ったら……いやはや…そうではなかった…![]()
予定としては由利本荘で父方の祖母の家系の戸籍を取った後に秋田市に戻って父方の祖父の家系の戸籍を取ろうと考えていました
でも1時間に1本しかない汽車に乗って約45分かけて秋田市に戻ったとしても市役所に着いたら時間ギリギリだし、諦めて帰路のために北上するにしても歩き回り過ぎて疲れてしまったしでこの日は秋田市内に泊まる事にしました
「祖父の御先祖様達の戸籍全てを取ったら時間がかかるだろうし(今回で学んだ事)、それなら曾祖父母の戸籍だけでも取って帰ろう。そこから先は広域交付を活用しよう」と思い、次の日に北海道に帰る前に市役所に行ったわけですが…
次回はその結果についてです![]()











































