景虎が無事に年男を迎えたという事で、今回は景虎が初めてお誕生日を迎えた時(1歳の誕生日の時)の話をしたいと思います
まず、結論から言いますね
わくわくしながら前もって準備していたのに全て台無しになりました
全てはこの一言に尽きます
そうです。全くもって良い話ではありません
2015年3月に景虎が1歳になる&初めての誕生日を迎えるという事で、私はその前の月からケーキを買ったり、ご飯にトッピングするおかずを考えるなどして、かなり気合いを入れて準備をしていました
そうして「景虎の(初めての)お誕生日まであと5日だわ〜
」と思って指折り数えてわくわくしていた頃、我が家に1本の電話がかかってきました 
時刻は15時52分あたり、ちょうど再放送している相棒が終わって景虎地方のローカル番組に切り替わるタイミングだった事を覚えています
市外局番は0166で旭川からの電話でした。電話には私が出ました
「旭川市立病院です。○○さん(叔父の名前)から電話番号を教えてもらい、それでお電話させていただきました。○○さん(祖母の名前)がご危篤なのですが…」
(何せ11年も前の事なので言われた事はうろ覚えですが、こういう感じだったと記憶しています)
はい??(゚Д゚)?
いきなり危篤って何がどうしてこうなってんねん!って話ですが、この時はちょうど私の母親が近くに居たので電話を変わってもらいました
結果としてまとめると「祖母は危篤でもう死にそうなので御家族の方は誰か看取りに来る事はできませんか」という事でした
一連の流れを説明すると、体調が悪くて午前中に旭川市立病院にヘルパーさんと共に来院→熱がある→検査すると肺炎→処置→熱が下がらない→酸素濃度低下→緊急連絡先である叔父に電話→しかし叔父は千葉県在住なのですぐに行けない→叔父が病院に我が家の電話番号を教える→我が家に電話がかかってくる→出たのは私→「危篤です」のお知らせ→ええええええっΣ(((゚Д゚)))!?……という流れです
通常ならここで「それは大変だ!今すぐ旭川に!」となって準備を始めると思うのですが、私も私の母親も祖母に対して愛想を尽かしていたので「行くのは無理だ。やめよう」となって結果的に旭川には行かない事にしました
とは言っても、今からJRに乗って旭川まで行き、旭川駅から市立病院までタクシーで向かえば何とかなりそうでは?と考えて実行するか否かまでいきましたが、やっぱり時間の兼ね合いもあるので否になりました
車で向かうにしても高速道路を使っても約2時間、しかもまだ雪道で路面状況も悪いのでどんなに急いでも時間はかかります
その後、母親は景虎の散歩に行くし、私は通夜に備えて泊まりの準備をするしで完全に祖母を看取る気がない人達の動きをしていました
この部分だけ見たら我等は薄情で酷い人間に見えますが、祖母自身もこちらの言う事を全く聞き入れなかったのでこうなっても仕方がないと個人的には思っています
そもそも私の母親は祖父が亡くなった後、住んでいるところが遠方という事もあり、このような事態になる事を懸念して祖母に何度も「一緒に住もう」と言っていました
しかし祖母は「再婚相手の親もいるから嫌」だの「自分の父親が建ててくれた家だから離れたくない」だの「環境が変わったら風邪を引く」だのと屁理屈ばかり言ってわがままを通して言う事を全く聞きませんでした
環境が変わったら風邪を引くってどんな理屈だよ(笑)
祖母を病院に連れて行ってくれたヘルパーさんすらも「よその人を家に入れたくない」という理由でなかなか受け入れようとしませんでしたが、叔父さんが説得して亡くなる半年くらい前からやっとお願いできた感じです
そしてこの祖母は私の育ての親でもある訳ですが、はっきり言って毒になる親(通称:毒親)でもありました。私の母親も毒になる親でしたが、今回は景虎の初めての誕生日の裏話がメインなので祖母と私の母親の毒親コンビについての話はまた別の機会にします
私が祖母を看取りに行かなかったのもここが起因になって愛想を尽かしたからでもありますし、祖母の数々の悪行が判明したからでもあります。それも別の記事で話しましょう
そんな感じで旭川市立病院から電話をもらった4時間後に祖母は亡くなり、景虎の初めての誕生日は葬式後に迎える形になってしまいました…。気合い入れてケーキも買ったのに何なんだよ…って気持ちですよ
(↑
1歳になった直後、祖父母宅にて)
祖母の葬儀に際していろいろな方が祖父母宅に来ましたが、そんな中でも景虎は一切吠える事なくケージの中で大人しくしていました。なので皆さんは驚くのと同時に「お利口だね〜」と言って可愛がってくれました。まるでおじいちゃんやおばあちゃんに可愛がられる孫状態の景虎でした
当時の記事では家庭内でいろいろありまして…喪に服しています…と濁して書いていましたが、実は祖母の死でした。「祖母が亡くなりました」と大々的に言うのもちょっとなぁ…
と思ったのであのような言い回しになったのと、別に不謹慎厨などではありませんが祖母が亡くなってるのに「景虎の!初めての誕生日です!!YEAHHHHHH!!
」も失礼だろうという事で初めての誕生日の記事も出しませんでした
なので景虎の歴代のお誕生日の中で記念すべき初めての誕生日の記事だけがありません
祖母が亡くなる前まで初めてのお誕生日の記事を書く気満々だった私も非常に残念です。こればかりは仕方ありませんが 
……というのが景虎の初めての誕生日の裏話です。毎年3月には「○歳になりました!」のタイトルがあるのに2015年3月だけそれがない事をいつ説明しようか…とずっと考えていましたが、やっと言えました
取るに足らない事ではありますが…まぁ、こんな事がありましたよという事で見ていただければと思います