部活動って、何?
1)熊日(20230818)「部活の体罰 なぜ絶えぬ」
■こんな記事が踊っています。いくつかの事例を出しながら、暴言とかのパターンを出して、結論として「勝利至上主義 抜け出せず」としてあります。
これは、「いま、学校は」という連載の1つです。
2)学校のブラック化
■これが世間に広まったのは、私の知っている範囲では、朝日新聞への一教員の投稿だったか、新聞社自体の特集だったかと思います。
要するに、自分は教員として児童生徒の指導や授業に当たりたかったのに、現場は部活で回っているという指摘で、その方は経験のない部活動指導で、土日も練習や試合に明け暮れ、毎日が疲労困憊というわけでした。
しかも、残業手当はつかない、働かせ放題の現場はブラック企業と同じではないか!という論調でした。
これは私も同感で、よくぞ言ってくれたと思ったことでした。代弁してくれたんだーと思ったものでした。
3)誰が部活動を推し進めてきたのか?
■以前は、学期に1回位でしたか、部活動担当者会というものがあり、半日研修があっていました。それくらい、部活動に熱が入っていたのですね。
文科省は、部活動について触れていません。
■私は若い頃、全国の民間団体が主催する教育研修会に自腹で参加して学んできました。それも、部活の試合の合間にです。
そこで、グループ協議があり、全国の小学校教諭と話し合う機会があるのですが、悩みの相談となった時に、皆さん「?」「?」「?」という時があります。
それは何を隠そう、「部活動」の話をした時です。
熊本では、放課後、部活動というのがあって、採点どころか、教材研究さえできない、家に帰ってからやるしかないと訴えた時の反応に驚きを隠しきれませんでした。
「部活動って、何?」
■そこで、私は初めて知りました。部活動を小学校でやっているのは、熊本とわずかな数県のみだという事実を!!
では、全国大会とかはどうなっているの?と逆質問をしてみました。
すると、それは「スポーツ少年団」とかの、地域のクラブチームだよ!!という返答でした。
逆に聞きました。
「スポーツ少年団って、何?」
4)学校現場に押し寄せる、課題の数々
■そんな中、総合学習や生活科の導入、英語の導入、◯◯教育の推進、通知表への文字評価等々、様々な波が押し寄せてきました。
部活動をやりながら、これらのことをやるのです。
「無理でしょう!」という話です。
■部活動の種目が経験のあるものならまだしも、未経験を指導するとなるとですね。授業と同じで、部活動の教材研究が必要になります。知らない、できないでは済まされません。保護者の圧力、地域の圧力があるからです。
そんな時、思ったものです。
「自分は何をするために、教員になったのだろう!」と。
部活動を指導するために、教員になったではないのに! 自分は子どもたちの学力を高めてやりたい!、楽しい授業をやりたい!と思って教員になったのに!
部活動指導が好きな教員はそれでいいでしょう。勝てば勝つほど、指導力があるともてはやされ、職員室での天狗になりやすく、多大な発言力というものが発生します。
逆だったら、どうなるでしょう?
5)地元企業のしかける大会の数々
■教育現場のみの話ではないです。全国大会への切符は、「◯◯」大会で3位以内が九州大会とか、そんな感じで事は進んでいきます。
すると、その◯◯大会は誰が主催しているのかという話になります。
多くは、地元企業の社会貢献の一環として、主催されるのですよね。
企業は、儲けの一部を社会貢献することが大切ですので、そんな学童や少年の部活動を応援するわけです。
応援というのは、大会で使用する施設の利用料や審判の費用等々です。
特に多い企業は、地元の大企業やメディア関連の会社ですね。
■大会とは競い合いです。技術向上や仲間作りということも確かにあるでしょう。その一方で、綺麗事ばかりではありませんよね。
保護者や地域の目があって、勝利至上主義にならざるを得ないのですね、現実問題として。
6)教員だけの問題ではない!
■これを言いたいですね。一教員を取り巻く、学校自体、その学校上部の組織、そして、地域の圧力、そんなものが原因ではないかと思うのは、私だけでしょうか。
自分がやらなければ誰もやらない!というところで、私は部活動を担当してきました。もちろん、受け持つ子どもたちや保護者とのいい繋がりもできた時もあれば、そうでない時も当然、あります。
人生山あり、谷ありと同じです。これに、担任という仕事が重なると、2つのクラスを受け持っているということと同じになるのですよね。
部活をする教員、しない教員、ここの不平等感もないと言ったら、嘘になりますね。
こんなことも、メディアは知ってほしいなーと、つくづく思います。
■第三者は何とでもいえます、しかし、当事者からしてみれば、勝手な意見だよなーと、一方的すぎるよなーとなるのですよね。
こんな長い文化が続いてきたのが一因ではないのでしょうか。