天然痘ならぬサル痘、新型コロナウイルス
1)熊日新生面から(20220729)
■冒頭、このように書かれています。
痛みはないが、消えない古傷がある。シャツの袖をまくると、上腕に引っかれた痕。40代後半より上の世代には、ほぼ全員に残る。天然痘ワクチンの種痘を受けた「証明」である。
一応、WHOが1980年に天然痘根絶宣言をしてはいます。
■その天然痘が猛威を振るったのは、奈良時代の735年から738年です。
新型コロナと同じ、中国からと考えられています。
当時の遣唐使が持ち帰り、病死をしたり、平城京内で感染を拡大させたと言われています。
■そのコラム中程で、こう書かれています。
聖武天皇は感染を鎮めてほしいと仏教にすがり、そのシンボルに東大寺「奈良の大仏」を造り始めた。治療の手立てがなく、巨大な仏像に鬼退治を託すしかなかったのだろう
これは、この通りだと思うのですが、私は、聖武天皇はしたたかだったと思いますね。
というのは、これを非科学的だと、皆が認めるところだと思えますよね。当時は、ワクチンなどあるはずもなく、結局3年間猛威を振るっていて、国民の3割が亡くなっているのです(当時、推定人口は500万人)。
最終的に解決できたのは、「免疫」だと思います。
今や、この時代、人口は1億2000万人、ワクチンあり、グローバル時代です。3年ですむのでしょうか。
2)大仏造りは巨大公共事業だった!
■こう考えると、面白いと思いませんか。
当時の背景に迫ることが重要です。
というのは、天然痘ばかりが「課題」ではなく、重税に苦しむ農民、それを利用した豪族による反乱、こんな諸課題が突きつけられていた、聖武天皇です。
「歴史は繰り返す!!」
と思いませんか。重税というか、消費税に苦しむ国民、物価高騰に苦しむ国民、反乱こそなきにせよ、様々な凶悪事件が発生していて、当時と同じ課題が突きつけられていると考えられないでしょうか。
■そこで、聖武天皇は考えました。当時は「律令政治」が始まったばかりです。
つまり、国家は法「律」と天皇の命「令」による政治体制でした。
聖武天皇は、大仏建立の大号令を発します。国民は従わざるを得ないわけです。
各地から農民が奈良に集められます。当然、そこには住まい(今で言えばホテルとか)、食料、資材等々が集積されます。当然、給料(米などの現物支給:貨幣は一部でしか広まっていなかった)が支払われます。
そうすれば、重税に苦しむ農民も、その家族も、奈良の商人?も、懐が温かくなるわけですね。
経済が回りだすわけです。
つまり、聖武天皇は、大仏建立という一見、非科学的な手法によって、経済の循環、人々の和(協力)を醸し出していったのではないでしょうか。
この自作動画をご覧ください。
3)次はサル痘、その次は?
■ビル・ゲイツ氏は、新型コロナをいち早く予言していたということで、一躍有名になられましたが、それもつかの間、今度はサル痘というのが出てきました。
結局は、これらの伝染病との戦いが、これからの人間に襲ってくるのではないでしょうか。
それまでも、サーズとか、BSEとか、いろいろな伝染病が警鐘を鳴らしていたのだと思えます。
それらに耳を貸さずに、対症療法ですませてきた人間に、ツケが回ってきていると考えられないでしょうか。
温暖化についても、過去に様々な警鐘が鳴らされてきているのに、無視続けた人間に、「大災害」がこれでもかと!、襲ってきているように感じる昨今でもあります。
悔い改める時がきていると言えるのではと、感じているところです。歴史に学ぶことが重要ですね。