ザ・先生不足!!
1)「子どもが好き」に限界(熊日20220730)
■熊大卒業生曰く、
授業準備や毎日の記録に睡眠時間を削るしかなかった。子どもが好きという気持ちだけでは限界がある。授業だけで精いっぱいなのに、事務作業や保護者対応もあるなら続けていけない」
と。確かに!!と思ったことでした。
まず、アンケートを減らせの「大合唱」が5年くらい前にあったと思うのですが、これが全く変わっていません。現場はアンケートだらけです。一体どうなっているのでしょうかね。タブレットが入ってから、一段と増えていると感じますね。校務の内容によっては、かなりのプリント作成が生じてきます、それも毎月の報告だから大変です。
■「子どもが好き」というのはやめたがいいと思います。
例えば、文章を書くのが好きということで、新聞社に入ったとしましょう。しかし、膨大な取材や調査に失望したというパターンがあるかと思います。
2)手段と目的、あるいは原因と結果の、再考が重要
■文章が好きだけで、新聞記者になるのは難しいと思います。
子どもが好きで、教員になるというのは難しいと思います。
手段と目的というか、原因と結果というか、その辺の再考が重要です。
授業が楽しくて、子どもが愛おしくなったというのはありです。
取材が楽しくて、記事を書くのが楽しくなったというのはありです。
ここだと思えますね。
まずもって、大学生が履き違えていると思います。
子どもが単に好きというのなら、保育園でもベビーシッターでもいいわけです。
教員というのはまずもって、「教える」のが仕事です。ここを間違えているとも思えます。
3)なぜ、今もって「気持ち」を問う?
■同新聞記事で、現役実習生曰く、
登場人物のえっちゃんはどんな気持ちか考えてみましょう。
何とか登場人物の気持ちが伝わったかな。
まだ、こんな30年前の授業をしているのかと、不思議に思ってしまいました。
私は今年で教職40年ですが、教職10年目までに、「気持ちを問うな!」と民間教育団体で学びました。
なぜなら、気持ちは各自の自由意思であって、そんなことより、文章に即して、文章技術や文章に即した発問と討論で考える力を養うべきだ、気持ちは道徳の授業で十分!!
と学んだことでした。そして、現行指導要領、そうなってきています。
■なぜ、今、国語科の授業で、30年以上前の授業が繰り返されているのでしょうか。
ひょっとしたら、現場を知らない、大学教官が指導しているからかもしれません。
ひょっとしたら、国語科教育で、まだそのような授業が大手を振っているのかもしれません。
30年以上前から、大学の勉強は現場で役に立たないと、よく言われていたものでした。
4)授業の楽しさを味わっていない!!
■ここが最大の問題点だと考えます。それがないので、「子どもが好き」では3ヶ月持たないと思います。
保護者対応、問題行動対応、アンケート回答、報告書作成、部活動対応、・・・・こんな現場では体がいくつあってもたらないと思います。
私も部活を続けてきて、やらない教員の2倍、放課後と土日と長期休暇中に、働いてきたと自負しています。給与や年休等々、条件は全く一緒ですからね。2つのクラスを受け持っていたという感じでした。
なぜ、折れなかったか、それは授業が楽しかったからです。今や、タブレット、アナログと比べ、楽しさは減っていると感じます。それでも、工夫次第で楽しくはなるでしょう。ここをこそ、大学教官が指導すべき問題なのですが、所詮、現場をしらないので、・・・・。
(「やらなきゃいけない、誰かが担当しないと、子どもがかわいそうだ!」という気持ちも正直、ありました。)
5)芯の、真の、新の改革を!!
■これをやらない限り、先生になりたいという人は減り続ける一方ではないでしょうか。