■熊本日日新聞 2021年5月1日(土) 「読者・・・」
■「水俣、福島が問うもの」と題しての論考、これはとても参考になりますね。特に、以下の箇所、初めて知ったことでした。
被害の拡大が続いていた1959年、チッソは水俣工場に「サイクレーター」と呼ばれる排水浄化装置を導入。完工式の席上、当時の社長は、装置を経た排水を飲み干して見せたのです。
この下りは、福島での海上廃棄を訴えた政府に言及した後の文章です。つまり、麻生財務相が「飲んでもなんてことはない」と言ったという後の下りなのです。
なるほど、さすが記者、うまく繋げられたなーと感じた次第でした。しかも、この事実は初めて知りました。そんなことが、私が生まれる前年にあっていたのだーという事実、愕然としたことでした。
■そして、記事は沖縄の米軍基地にも発展していきます。そして、記者は結びます。
問われているのは、私たち自身なのかもしれません。
「かも」というより、そうなのでしょう。
私流に言わせると、例えば、近場の自動車を止めて、自転車に切り替えることさえ、我々はできませんよね。「食べ残してまで輸入する日本」、貧困とスマホ保有、上げればきりがない位、ありますよね。
この矛盾は、それこそ、上記の問題をはらんでいると思うのですよね。人間以外の動物は自然と共存できますが、人間(現代人)の生活は自然とは共存できません。この矛盾は解決のしようがないのかもしれません。
経済と発展、発展と公害、発展と地球環境問題、これらは矛盾だらけではないのでしょうか。むしろ、ここに人間の弱さが含まれているのではないでしょうか。「あちらを立てればこちらが立たず」という問題です。
我々は一体、どう生きていけばいいのでしょうか。生きていくことは、自然破壊です。電気がないと暮らせない、発電は地球を汚す、つけは我々に返ってくるという悪循環、どうすればいいのでしょうか。昨今の自然災害の大きさ、被害もそれを物語っているように考えます。