■熊本日日新聞 2020年8月27日(木) 「スマホの・・・」
■月1回でしょうか、市教委指導主事によるSNS問題を中心としたエッセイです。
今回の構成は泣かせますね。冒頭より、特別支援学級生徒との帰りの触れ合いが少し触れてあります。いきなり、第2段落はSNSへと切り替わります。
冒頭の問題は一体何なのだという印象を持ちながら、文章は最終段落へ。
この最終段落で、冒頭の文章とのつながりが出てきます。上手いですね、この書き方、見習わないといけません。
■さて、内容ですが、冒頭でその生徒を著者は夕方遅かったので、「車」で自宅まで送って行かれますが、とうとう帰りつけません。生徒は「ごめんね」と謝るのですが、それを見た著者も涙されます。ここに生徒と著者の優しさが出ていますね。
そして、クライマックスへ、著者は一旦学校へと帰り、一緒に歩いて自宅まで帰られたのだそうです。すると、一発で自宅へたどり着いたと。著者は、記事をこうまとめられます。
私は彼の見ている世界ではなく、自分が見る世界の中で彼を捉えていた。
この文章は重いですよね。著者だけでなく、自分自身も日常でやっていることだと思えます。ここに「落とし穴」があるように感じます。背景を見ることの大切さ、視点を変えることの大切さを問うていると感じます。
■今、理科専科をしているので、素粒子、超ひも理論関連の本を読んでいます。今の物理学を席巻している学問領域です。この物質の最小単位、素粒子は9次元世界で、「ひも」でつながっているというまったくもって難しい内容なのですが、私は、今回の記事を読み、まさしくこのことではと、感じた次第でした。
生徒の次元と教師としての次元、それは微生物の次元と人間の次元とおなじなのかもしれないと。違う次元を生きているけれど、そこは「ひも」で実はつながっている、「ひも」を手繰り寄せる必要があるのだと、勝手に解釈しながら、生徒指導を強引に理科へと引っ張りながら読ませて頂いたことでした。