■熊本日日新聞 2018年2月27日(火) 「大学生・・・」
■上記見出しに関連した、過去の記事を思い出したことでした。「分数のできない大学生」、これははっきり言って、それを通した大学の問題だと思えました。今回は読書ですね。教育評論家?の尾木氏が答えています。「卒論のための時間すら不足しているのに、読書どころではないだろう。」と述べていますが、大学生は義務教育ではないので、基本的には大学で「学ぶ」ために、「夢」をかなえるために通うところなので、この考え方は本末転倒かな?と思いました。苦学なら、アルバイトをしなきゃならないだろうが、卒論は十分時間をかけるべきだし、そのための本も読むべきだと、私は思いますね。アルバイトをするために大学へ通うはずではないはずです。奇しくも、尾木氏は大学教授ですから、そもそもこんな考えを言っても仕方がないと思ったことでした。
■むしろ、どうやって読書をさせるべきかをコメントしなきゃならなかった!、例えば、試験や講義で読書せざるを得ない状況に巻き込むとか、スマホをやる時間はあるわけなので、読書する時間はたくさんあるはず、要は天秤なのだと思えます。つまり、学問かアルバイトか、学問かスマホか、という優先順位の問題だと思ったことでした。自分でも何を言っているのか、訳が分からなくなってきましたが。
訳の分からないついでに、アメリカではいよいよデジタル疲れが出てきて、紙媒体が巻き返してきているということです。